古くから栄えた港町
京都府北部に位置する舞鶴市。日本海側拠点港に選ばれた舞鶴港を有する港湾都市だ。舞鶴の港の歴史は古く、縄文時代までさかのぼるという。江戸時代になると、北前船の寄港地として栄え、その後も日本海側から湾内を目視できないという特性から軍港として整備された。かつては旧日本海軍の鎮守府が置かれ、その初代司令長官を後の日本海海戦で名を馳せることとなる東郷平八郎が務めたことも広く知られている。また、日本海側唯一の大型造船所やガラス産業、環境産業、食品製造など大手企業が集積。このような地方都市としては珍しい特徴を持つ舞鶴の魅力について、舞鶴商工会議所の廣瀬久哲会頭は、こう語る。
「舞鶴には風光明媚なスポットがたくさんあります。例えば、リアス式海岸になっている舞鶴湾を五老岳の「五老スカイタワー」から見ると絶景です。また、旧海軍が築いた赤れんが倉庫も必見です。平成24年に『赤れんがパーク』としてリニューアルオープンしました。常設のカフェや展示場のほか、イベントの会場などにも活用されています」
そして、舞鶴は〝引き揚げ〟のまちとしても知られている。舞鶴は、主に旧満州、朝鮮、シベリアからの引き揚げ者を受け入れ、昭和20~33年までの13年間で、出迎えた引き揚げ者数は66万人。舞鶴の地では、多くの喜び、そして悲しみのドラマが繰り広げられた。「引き揚げ者を受け入れていた港はいくつかありましたが、引き揚げがいったん中断し、再開された後は舞鶴が国内唯一の引き揚げ港となりました。再び繰り返してはならない〝引き揚げ〟の記憶は後世に伝えていかないといけません」(廣瀬会頭)。
引き揚げの記憶を後世に残したい
この記憶を後世に伝えようと、63年に建てられたのが、舞鶴引揚記念館だ。記念館は、シベリアの地で使用したコートなどの防寒着、引揚証明書をはじめとする文書類など約1万2000点の貴重な資料を所蔵。そのうち約1000点を常設展示している。
そして、この貴重な資料を後世に継承し、平和の尊さを広く発信していくため、記念館で所蔵している資料をユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界記憶遺産に登録しようという運動が展開されている。舞鶴引揚記念館の館長の山下美晴さんは、「今年の6月にユネスコ国内委員会で、国内候補に『舞鶴への生還―1945~1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録―』が選ばれました。来年、記憶遺産国際諮問委員会の審議などを経て、登録の可否が決まります。忘れてはならない、この記憶を未来につないでいきたいですね」と語る。
交流人口300万人を目指す
「舞鶴市でも定住人口は減少傾向です。定住人口はもちろんですが、何とか観光などで交流人口を増やしていきたいですね」(廣瀬会頭)
舞鶴市では、定住人口の減少を交流人口の消費で補い、交流人口を定住人口に換算。定住人口と合わせ、10万人規模とする都市像を目指している。
「舞鶴では二つを合わせて『経済人口』と言っています。平成30年には交流人口300万人(定住人口換算で1万7000人)。実際の定住人口8万4000人(推計)と合わせ、経済人口10万人を目指しています」と舞鶴商工会議所の瀬川甫専務理事は説明する。 そんな中、平成23年に舞鶴港が日本海側拠点港に選出された。そして、これを契機として海外からを含む大型クルーズ客船の寄港回数が近年大幅に増加している。
「24年度は3回、昨年度は7回でしたが、今年度の寄港予定回数は、15回です。海外からの交流人口は1万人を超える見込みです。昨年、クルーズ・オブ・ザ・イヤーの特別賞も受賞しました。これに恥じることがないよう万全のおもてなしをしていきたいです」(廣瀬会頭)
大型クルーズ船で舞鶴港にやってきた人たちの多くは舞鶴から京都の有名観光地に向かうという。しかし、ツアーによっては、滞在時間よりも移動時間の方が長いということもあるそうだ。
「わざわざ遠くに行かなくても、舞鶴市内に魅力的なスポットがあるということをアピールしていきたいです。大型クルーズ船はいわば動く大きなホテルです。そして港町はホテルの前庭。クルーズ船の多くは、西舞鶴の港に入ります。西舞鶴には城下町、奈良時代に建てられた神社・仏閣などがありますから、ぜひまち中をゆっくり歩いて、ぜいたくな時間の使い方をしてほしいと思います」(瀬川専務)
実際に、海外からの観光客は、クルーズ船を降りて、舞鶴の神社・仏閣を巡っているという。しかし、人の流れがなかなか地元商店街に波及していかないことも事実だそうだ。舞鶴商工会議所の西山隆成常務理事は、「赤れんがパークやクルーズ船のお客さまに、どうやって商店街まで足を運んでいただくかが課題です」と語る。西舞鶴商店街事業協同組合理事長の荒川安幸さんもこう続ける。「受け入れの準備は正直まだまだこれからです。やはり言語の問題が一番大きいですが、少しずつ準備を進めていきたいと思います。今は、来ていただいた方を〝心〟でおもてなししています」。
舞鶴のブランド力を向上させ生き残りを図る
交流人口300万人、経済人口10万人という目標を達成するためにはまち自体の魅力を高める必要がある。舞鶴観光協会副会長の森口等史さんはこう話す。
「舞鶴の特産品や安心・安全な食など魅力ある地域資源をアピールして舞鶴のブランド力を高め、他地域に負けない競争力をつけていきたいです。また、舞鶴には他の地域にない好条件があります。それは北東アジアから近畿圏への玄関口である、ということ。ですから周辺地域とも連携して外国人観光客を誘致したいと思います」
舞鶴を含む京都北部地域では、「海の京都」と称する連携施策を実施している。そして今年、平成26年は交流人口を拡大する千載一遇のチャンスだという。
「舞鶴若狭自動車道と京都縦貫自動車道が開通するのです。これにより京阪神圏・中京圏・北陸圏とのアクセスが格段に向上します。これらの地域からも来ていただきやすくなりますし、舞鶴港にきていただいた海外からの観光客の方々にとっての利便性も向上します」(廣瀬会頭)
2つの顔を持つ舞鶴市
舞鶴市は、市東部と西部で異なる二つの顔を持っている。それは、東部が軍港から栄えた一方、西部は細川幽斎が治めた田辺城を中心に発展した城下町という異なった歴史があるからだ。そのため、東西でまちの性格が大きく異なり、お互いにライバル意識を持ったこともあったという。
しかし、現在はライバルではなく、仲間としての取り組みが活発化してきている。そのうちの一つが、東西両地区の商店街で使えるポイントカード「LINKカード」だ。荒川さんは、「商店街も空き店舗が増え、後継者不足が問題になっています。そんな状況ですから、やはりお客さまの利便性を最優先に考えています。今後も両地区で連携していきたいと思います」と目標を語る。舞鶴商工会議所も商店街を活気付かせようと、商店街と協力し、100円商店街を実施している。
「まず商店街に人がいないという状況を何とかしなければいけないと思います。人が来てくれなければ商品が売れることは絶対にないわけですから。100円商店街の日は遠くからもお客さまがやってきます。まずは人がたくさん集まるという状況をつくっていきたいですね」(瀬川専務)
金曜日はカレーの日
舞鶴といえば軍港というイメージが強いが、食も充実している。日本海に面しているということもあり、カニや新鮮な魚介類はもちろん、海軍にちなんだグルメもある。そのうちの一つが海軍カレーだ。舞鶴商工会議所では「金曜日はカレーの日」プロジェクトを平成23年から実施している。
旧海軍時代には、長い艦上生活で曜日感覚を失わないために週末にカレーが出されていた。現在でも海上自衛隊では毎週金曜日のお昼にカレーライスが出されており、このプロジェクトは、この習慣にちなんだものだ。
「今では、市内の飲食店や小売店の多くが参加し、個性豊かな商品を提供しています。また、小学校でも金曜日の給食でカレーが出るようになるなど徐々に定着してきました。海上自衛隊舞鶴地方総監部さんの後援とキリンビールマーケティングさんの協賛が得られたことも大きいですね」(西山常務)
また、舞鶴の食を語る上で、「とれとれセンター」を見逃すことはできない。とれとれセンターには舞鶴港でとれた新鮮な魚介類、そしてかまぼこやちくわといった水産加工品がところ狭しと並べられている。それだけではなく、イートインコーナーもあり、購入した魚介類をその場で食べることもできる。舞鶴さかなセンター協同組合理事長の藤元達雄さんは、「とれとれセンターには、その日の朝にあがった新鮮な海の幸が集まっています。お買い上げいただいたものをその場ですぐに調理できますから、ぜひ舞鶴の味をここで楽しんでいただきたいですね」と笑顔で話す。
環日本海の時代は必ずくる
「国際フェリーの就航も予定されており、人の流れ・モノの流れに変化がでるのではないかと期待しています」(廣瀬会頭)
舞鶴港が日本海側拠点港に選ばれたこと、高速道路網の整備で京阪神・中京圏へのアクセスが向上すること、東アジア圏との新しい航路ができること。舞鶴を取り囲む環境は整備されてきている。
「観光イベントにもだいぶ人が集まるようになり、周囲の環境も整ってきました。これからが商工会議所の出番だと思います。行政などに積極的に提案していきたいと考えています」(廣瀬会頭)
瀬川専務もこう続ける。「舞鶴は本州のほぼ中央、日本海側と太平洋側の距離が最も短い部分にあります。また、海上自衛隊地方総監部と海上保安庁管区本部の両方が同じ市にあるのは舞鶴だけです。危機対応の面でも重要な役割を果たせるはずです」。
廣瀬会頭は、「日本海側はいずれ花開くはず」と繰り返してきたが、以前はなかなか理解されなかったという。しかし、現在は、その実現が夢ではなくなってきている。東アジアの成長を取り込む環日本海の時代はすぐそこまできている。と松下浩士さん
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