岸本吉二商店
兵庫県尼崎市
酒樽を包む菰縄を仲介
灘や伊丹といった酒どころに囲まれた兵庫県尼崎市で、岸本吉二商店は明治33(1900)年に初代の岸本吉二が創業して以来、菰縄(こもなわ)づくりの伝統を守り続けている。菰縄とは、日本酒を入れた樽(たる)に巻いて包むもので、江戸時代には灘や伊丹から船で江戸に運ばれる四斗樽(しとだる)(約72ℓ入りの酒樽)を保護するために使われていた。菰縄で包まれた酒樽は菰樽と呼ばれ、今では祝い事などの際、大き菰樽のふたを木づちで叩いて割る鏡開きに使われることが多い。
「江戸時代、江戸で飲まれる酒の7、8割はこちらから運ばれて江戸積みされる‶下り酒〟でした。菰縄は酒樽が船の上で倒れて壊れたりするのを防ぐ緩衝材として使われていて、そのため相当な量の菰縄が必要とされていました。当時、農家が副収入のために稲わらでつくった菰縄を集めて蔵元に収める認可制の商売があり、尼崎にはその業者が17軒くらいあったそうです」と、岸本吉二商店の四代目、岸本敏裕さんは言う。
明治に入ると認可制度がなくなり、吉二の父親である吉太郎が、副業で菰縄の仲介業を始めるようになった。そして吉二の代になると、その商売を専門とする岸本吉二商店を創業したのだった。
「それまで蔵元は、買い取った菰縄に自分たちで『剣菱』や『白鶴』といったお酒の銘柄を焼き付けたり刷り込んだりしていたのですが、それもうちで引き受けるようになりました」
菰樽に刷り込まれた銘柄のデザインは、ほかの蔵元の酒樽と区別する目的もあったが、その銘柄の酒を宣伝する役目もあった。
全国各地の蔵元と取り引き
当時、菰縄はすでに運搬の際の緩衝材としての役割はほとんどなくなっていたが、大勢が集まる祝い事があると、菰樽を使った鏡開きが度々行われており、岸本吉二商店では近隣の酒蔵からの注文を受け、多くの菰縄をつくるようになっていった。ちなみに祝い事で菰樽を木づちで開けることを‶鏡開き〟というのは、酒屋では酒樽の上ふたのことを‶鏡〟と呼ぶことに由来しているのだという。
「戦時中は休業していましたが、戦後、灘の蔵元さんからの依頼を受けて昭和24(1949)年に製造を再開しました。しかし、それからすぐに二代目の長三郎が事故で亡くなってしまいました。私の父の一司(いちじ)が20歳で後を継ぎましたが、父はまだ菰縄づくりをよく知らない。そのため、昔うちで働いていた人や親戚のお手伝いをいただきながらの再開でした。ここからが第二の創業となりました」
三代目は市場開拓に力を入れ、全国各地の蔵元との取り引きを始めたことから、岸本吉二商店は業界最大手となっていった。しかし、現社長の岸本さんが会社に入った1988年ごろには、すでに業績が下がり始めていた。鏡開きがあまり行われなくなり、菰縄の需要が減っていたためだった。
「それから25年以上右肩下がりで、ピーク時の半分以下に減りました。ただ、それがゆっくりだったので、従業員を辞めさせることなく、生産量を減らし、人員を補充しないなどで対応していきました」
そんな中、95年には阪神・淡路大震災が起こった。
菰縄の新たな活路を探る
「うちは被害が少なかったのですが、周辺の同業者は次々にやめてしまい、当時10軒ほどあったのが3軒にまで減ってしまいました。その年の4月に統一地方選挙があり、立候補者の事務所開きや当選祝い用の菰樽の需要があったため、すぐに菰縄づくりを再開させました。同業者が減った分、その後は売り上げが少し戻ってきました」
業績を持ち直すきっかけとなったのが、2003年に発売した卓上サイズの菰樽「ミニ鏡開きセット」だった。以前にパーティーグッズメーカーの依頼で似たようなものをつくったがあまり売れずに生産中止となり、それを改良して自社開発したものだった。
「最初は居酒屋でお客さんが鏡開きをすることを想定していたのですが、結婚式で使ったら面白いよねと言われ、キャンドルサービスの代わりに各テーブルで鏡開きをするようブライダル産業に提案して、需要を開拓していきました」
これにより「ミニ鏡開きセット」は年間約8000個売れるヒット商品となり、今では小人数のパーティーや家庭内での祝い事などでの需要も増えている。また最近では、菰樽をディスプレーとして使いたいという海外からの問い合わせも増えてきている。
「菰樽の需要が減り、うちは‶絶滅危惧種〟だとよく言っているのですが、絶滅危惧種だからこそ残せる未来もあると思っています」
日本酒があるかぎり、菰樽の文化はこれからも岸本吉二商店とともに生き残っていくことだろう。
プロフィール
社名:株式会社岸本吉二商店(きしもときちじしょうてん)
所在地:兵庫県尼崎市塚口本町2-8-25
電話:06-6421-4454
HP:https://www.komodaru.co.jp/
代表者:岸本敏裕 代表取締役
創業:明治33(1900)年
従業員:30人
※月刊石垣2020年10月号に掲載された記事です。
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