教育への強い志を同じくする新島襄と渋沢栄一が遺した大学
江戸で蘭学を学び、米国でさらに見聞を広めた新島襄(じょう)は、日本における教育の必要性を強く訴え、私学同志社の設立への協力を呼び掛けていました。新島を支援する会合に出席した渋沢栄一は、自ら寄付をし、基金の募集と管理にも尽力。新島は同志社大学の誕生を待たずに亡くなりましたが、後事を託された栄一はその遺志を学生たちに語り聞かせ、以降も同志社大学と深い関わりを持ち続けていました。
明治17(1884)年竣工の彰栄館は、同志社が最初に建てたレンガ建造物です。京都市内に現存する明治期の建造物でもあり、重要文化財に指定されています。