高嶋 活士 (たかしま・かつじ)
1992年12月2日千葉県生まれ。障がいクラスはグレードIV。
ドレッサージュ・ステーブル・テルイ/コカ・コーラボトラーズジャパンベネフィット所属
パラリンピックで唯一、動物とのコンビで行う馬術。人馬一体となって演技し、正確性や芸術性が採点される馬場馬術で競う。感情をもつ馬との信頼関係が勝敗に大きく影響する。
高嶋活士選手がドイツ生まれのせん馬(去勢された牡馬)、ケネディ号と出合ったのは約5年前。穏やかで愛らしい性格に引かれた。以来、「愛情をもって接すれば、愛情を返してくれる」と真摯(しんし)に向き合ってきた。厳しい練習の前と後に行う愛馬の世話も大切な日課。健康管理も含め、細やかな気配りでケアする。
昨年12月の全日本パラ馬術大会では強風により演技中に埒(らち・アリーナの柵)が倒れるアクシデントで一瞬、馬がビクついたが、高嶋は何もなかったかのように演技を続けた。試合後、「派手には驚かず、収まってくれた。いい馬だなと思った」。細めた目に、深めてきた‶二人の絆〟が垣間見えた。
自身の動揺が馬に伝わらないよう、心の制御も大切だ。「強みは、馬が暴れても大丈夫なところ。騎手時代の経験も大きいかもしれない」
高嶋は2011年から日本中央競馬会の騎手として活躍したが、13年にレース中の落馬事故で頭部外傷や右鎖骨骨折などを負い、右半身にまひが残った。必死のリハビリで復帰を目指したが、15年に無念の引退。幸い事故の記憶は一切なく、ただ「大好きな馬に乗りたい」と新たに選んだのが馬術だった。
競馬はレースごとに指定された馬に騎乗するが、馬術は特定の馬と組み練習を重ねる点が異なり、馬の性格や特性を把握し、「こう指示したら、こう動く」というコンビの約束づくりが欠かせない。高嶋は右半身に力が入りにくいため、利き手を右から左に変えて手綱を操り、右足はゴムバンドであぶみに固定する。左右差のある自身の特徴を馬に理解してもらうことも重要で、意思の伝達には主に骨盤で馬の背を押す方法を工夫した。
才能はすぐに開花。競技歴1年で国内トップに立ち、世界選手権の日本代表にもなった。次に目指す東京パラリンピックは延期になったが、「やるべきことは今までと変わらない。ただ、ケネディとのコンビネーションを高めていくだけ」。家族のようなパートナーと、心一つに夢を追う。
馬術
人と馬との信頼関係に根ざした一体感と、まるでダンスのような躍動感!
身体や視覚に障がいのある選手が出場。男女混合だが、障がいの重い方から5つのクラス(グレードI~V)に分かれて競う。障がいに応じて馬具の改良も可能。リズムの異なる3種のステップや「円を描く」「斜め歩行」といった20以上の運動項目を組み合わせて演技する。各項目を10点満点で採点され、成績は得点率で表示される。個人戦(規定・自由)と団体戦がある。
競技紹介:https://tokyo2020.org/ja/paralympics/sports/equestrian/
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