震災から10年。この間、東北の復旧、復興に向け、国や民間(商工会議所、企業、個人などの)レベルで、さまざまな事業が行われた。ここでは数ある事業の中から、三つの事業をピックアップして紹介する。
被災地のものづくり企業を後押し
「遊休機械無償マッチング支援プロジェクト」
2011(平成23)年3月11日に起きた東日本大震災直後から全国の商工会議所は、東北各地の被災地支援に動き始めた。その代表的なものの一つが「遊休機械無償マッチング支援プロジェクト」(以下、遊休機械マッチングという)だ。
「遊休機械マッチング」は、震災直後に仙台商工会議所に応援派遣された名古屋商工会議所の経営指導員が被災事業所のニーズを把握し、ものづくりの盛んな名古屋地区の同業者に支援要請を行ったことが一つのきっかけとなった。
震災からおよそ3カ月たった6月8日には大分商工会議所の会員企業から木工機具が、同28日には、名古屋商工会議所の会員企業が集めた工作機械などが無償で仙台商工会議所を介して被災した仙台市内の製造業数社に届けられた。
同年9月、東北六県商工会議所連合会(事務局・仙台商工会議所内)は、この支援を全国展開するため日本商工会議所(日商)と協力し、正式にプロジェクトを立ち上げた。全国の商工会議所のネットワークを活用するため、日商は双方の情報を集約できるデータベースを整備し、全国的にマッチングができる体制を整えていった。(図1参照)
マッチングを成功に導いた相談員(機械の目利き人)の存在
「遊休機械マッチング」を成功させた最大の要因は全国の商工会議所の「絆」だ。だが、その裏側では「絆」を形にした震災対策相談員(機械の目利き人)の活躍があったことを紹介しておきたい。
本プロジェクトの事務局には、震災対策相談員という〝機械の目利き〟ができる専門家を配置し、被災事業者の要望を収集、全国の商工会議所に協力を求めて無償で提供できる機械・工具の情報を発掘していった。そして日商内のデータベースを活用し、目利き人によるマッチング作業を始めた。
ところが、初年度は試行錯誤の連続だった。遊休機械の提供を受ける被災事業者が提出した申請書には具体的な要望(仕様)が書かれていないことが多く、また、提供された機械にも仕様書がないことが多かったという。そうした事業者に対しては、機械の仕様書によるマッチングではなく、「目利き人」が実際に被災事業者を巡回して具体的な要望を聞き取るなどして、マッチングのミスを少しずつ減らしていった。
全国から被災企業に寄せられた遊休機械が一台も無駄にならないよう、「目利き人」の地道な活動によって支えられた面もあった。
日本商工会議所が果たしたもう一つの役割
震災後、東北各地の被災企業に対しては全国から遊休機械を譲渡する申し出が相次いだが、大きな問題もあった。それは震災後の復興需要を見越した中古機械の高騰だった。譲渡された機械の市場価格が上昇すると、寄付側の企業に税負担が生じてしまい、無償であっても譲渡の妨げになっていた。
そこで、日商は、政府や関係省庁に東日本大震災の被災地に遊休機械を寄付する企業に対して、寄付金課税を免除するように要請した。その結果、企業が機械を無償譲渡した場合、まず商工会議所が公表。寄付した企業が機械の市場価格に相当する分を広告宣伝費として損金参入できる特例措置が適用されることになった。この特例措置により、遊休機械マッチングによる支援は一層進んだといえる。「遊休機械マッチング」は2015(平成27)年12月まで実施し、全国83商工会議所・448事業所から被災地の10商工会議所・323事業所に対し3266件のマッチングが成立し、大きな成果を挙げた。
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