人には、見えざる手に背中を押されるように、思い切った行動に出る、そういうタイミングがあるものです。
貴乃花親方が角界を去った顛末(てんまつ)は、何かに突き動かされているかのような、客観的視点を持たない決断だったと思います。古いやり方の中には伝統と言えることもあれば、たくさんの弊害もあります。「これじゃいけない」と思った彼の考えは間違ってはいなかったと思います。でも、周りの共感を得ないと変えられない、ということを考えるゆとりはありませんでした。結果、飛び出すしかなかった。助言し、説得できる人がいなかったのは残念です。
それと対極に感じるのは、大リーグで成功を収めた野茂英雄選手です。当時は、日本のプロ野球を辞めてしまうとゼロから道を切り開くしかありませんでした。それでも挑戦し、ノーヒットノーランを2回達成するなど、スゴイ成績を彼が残せたからこそ、その後の野球選手たちに、大リーグへの道が開かれたのです。
私も一度だけ、周囲が驚くような決断をした経験があります。数学を研究するのが夢で、早稲田大学大学院に通っていたときに、実家が火事を出しました。ディスカウントストアとして再建を計画する父に請われ、私は学校を辞めて家業に入るしかありませんでした。父は「おまえの好きなようにやっていい」と言ったので、詳細な計画を立て、店を建て直す1年ほどの間に、全取引先に2回、従業員に3回、その計画の説明会を行いました。年商2億7000万円だった会社を30年で2000億円企業にするという私の計画を聞いた、取引先や社員の中には、誇大妄想狂だと思った人もいるでしょう。
9年が過ぎ、売り上げは65億、順調に3店舗目の計画を立て始めたとき、突然父から「待った」がかかりました。父の年収は3600万円、会社の利益は4億円でしたが、当時65歳の父にとっては、「もうこれで十分」だったのです。しかし自分の夢を諦め、家業に入った35歳の自分としては、納得できません。父と意見が衝突して1年後、私は裸一貫で家を出ました。前日まで普通に仕事をしましたから、まさか誰も辞めるとは思っていなかったでしょうが、そうせざるを得ませんでした。そして2カ月後、知人の紹介で船井総研に中途入社したのです。
人生には損得抜きでそうしないといられない、そういうときがあるのです。
混沌(こんとん)として、先行きの見えない世の中ですが、自分が「これだ!」と思ったときは、勢いを持って突き進む。それしかありません。もしかしたらコロナ禍は、人生を変える一つのきっかけであるかもしれません。
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