東日本大震災から7年が経過した。震災の犠牲者を悼み、さらなる復興を願って東北でのマジックショーやチャリティー活動を続けている宮城県気仙沼市出身のマジシャン・マギー審司さん。「震災の記憶を風化させないためにどうすればいいのか」「今、私たちにできることとは」。率直に意見を語った。
マイナスから始まる人には伸びしろがある
マギー審司さんは、昭和48年に3人兄弟の次男として生まれた。小学生の頃にテレビ番組『お笑いスター誕生!!』に出演するマギー司郎さんを見てマジックに興味を持ち、「これなら僕にもできるかも」と練習を重ね、同級生の前で披露するとみんなが喜んでくれた。これがマジシャンを目指す原体験となった。高校卒業後は単身渡米し本場のマジックを学んだが、一方で笑いで人を魅了するマギー一門のマジックを忘れたことはなかった。
「弟子にしてください」
帰国後、マギー司郎さんに宛てて手紙を書いた。快くマギー司郎さんが時間をつくってくれたので二人は東京で会うことになった。「田舎者の僕はお土産に何を持って行ったらいいか分からず、気仙沼のめかぶを持参したんですね。すると師匠は『面白いね』『今夜舞台に上がってみる?』と言って本当に2000人の観客の前に僕を上げてくれました。全くの素人なので大すべりしましたが、なんて懐の深い人なんだろうと感激しました」
こうして平成6年、マギー司郎さんの3番弟子となって芸能活動をスタートさせた。その名が世に知られるようになったのは、NHK『爆笑オンエアバトル』に出演したのがきっかけだった。「番組に出演していたのは、若き日のますだおかださんやタカアンドトシさんなどの実力派芸人。彼らを見れば、僕が笑いでかないっこないことくらいすぐに分かりました。かえって、マジックが一番うまい芸人になろうと割り切れたのが良かった」。お笑い番組でマジックをする妙が視聴者に受けて、マギー審司さんは同番組で負けなしの10連勝を記録。さらに第21回浅草演芸大賞新人賞を受賞するなど、瞬く間に人気者になっていった。
このように発想を転換したのはいかにもマギー一門らしいともいえる。彼らはマジシャンでありながら、マジックだけで勝負しない。マジック界で一番笑いをとるマジシャンなのだ。笑いとトークで観客の心をつかむ「おしゃべりマジック」が代名詞だ。「そこのお客さん、タネに気付いても隣の人に教えちゃダメですよ。隣の人だってとっくに気付いてるんですから」。そんなおとぼけで会場を沸かせる。だからマギー一門が訪れる空間は、「ハァ、笑ったわ」「一本とられた」などと、いつも“あったまっている”のだ。「そんなくだらないことを恥ずかしくないのかなどと同業者に言われるようなマジックを僕らはするんです。でもお客さんが腹を抱えて笑ってくれて、年間の仕事量は日本の一流マジシャンにも負けていないはず。人間力で勝負したい。プライドを持って舞台に立っています」
街頭に立ち続け2週間で1000万円集めた
そんな充実した日々を送る中、平成23年3月11日を迎えた。その日もマギー審司さんはマジックショーを控えていた。心配性で集合時間の1時間前には現地に着いていたいタチだが、その日会場に向かうことはなかった。「車のカーナビから、悲惨な映像が飛び込んできて言葉を失いました。ああいうときって、感情が無になるんですね。泣くとか叫ぶとか忘れて、ただぼうぜんとしてしまった」。気仙沼で300年以上前から暮らすマギー審司さんの一家。家族や親戚、友人など大切な人が被災したのだ。気付くと居ても立ってもいられず、たまたまTwitterでロンドンブーツの田村淳さんが渋谷で支援物資を募っているのを知り合流した。その後は芸人仲間らと街頭募金を行い、二週間で1000万円を集めた。「東北のことを思ってくれている人がこんなにいるんだと温かい気持ちになりました。同時に、この間も被災地の人たちは24時間寒さと空腹に耐えていると思うと、自分だけが暖かい風呂やベッドで体を休めることに罪悪感を感じました」
転機となったのは、ラジオで共演した方の言葉だった。「溺れている人間を助けるのに、自分が溺れていたら助けられない。まずは自分が常に健やかでいなきゃいけない」。これが自分を取り戻すきっかけとなった。心強い仲間もできた。かねてからのボウリング友達で同じマンションに住む俳優の村田雄浩さんとともに、ボウリング場でのチャリティーを始めたのだ。
「多いときは100人以上集まりました。しかし1年、また1年と参加者が減りつつあるのが現状で、少ないときは7~8人のことも」
こんなことを続けていて意味があるのだろうか│。そんな言葉が脳裏をよぎることもあったというが、決まっていつも村田さんが励ましてくれた。「『僕ら2人だけでもいいじゃない。風化させないために何があってもやめてはいけない』。周囲の人に支えられて今があるんです」。そう言ってマギー審司さんはほほ笑んだ。
長く続けるために楽しく支援しよう
マギー審司さんは現在も東北でのマジックショーや、チャリティーボウリングを続けている。「『チャリティー忘年会・新年会』なんてこともやっています。途中で募金タイムを設けているだけでごく普通の飲み会です。長く活動を続けるためには自分もしっかり楽しまなきゃ。意外と大切なことです」
一回開催すると約10万円が集まる。ストックしておいて、ある程度まとまったら気仙沼の人たちと相談して必要なものを届けているそうだ。「よく『今さら東北に行ってもできることがない』なんてことを言われるのですが、そんなことはありません。ただ観光に来てもらえるだけで東北の人は喜びますよ。すっかり元気になって手厚くもてなしてくれますから、気軽に立ち寄ってほしい」
東北の人は強い。震災後、より一層そう感じるようになった。「震災後初めて気仙沼を訪れたのは1カ月後でした。実家の電気店はヘドロだらけだったのに、僕が来ると知ってみんなできれいにして待っていてくれました。『ちょっと汚れてるけど、こんなの平気』。両親は普通の装いをしていたけど、座っている畳の下はヘドロだらけでした。『大丈夫だから、お前はお前で頑張れ』と励まされて、元気をもらったのは僕の方でした」
そんなエピソードが東北にはたくさんあるのだという。だから、働くすべての人に、東北の「人を思いやる気持ち」を参考にしてもらえたらとマギー審司さんは言う。「社会も人も、相手を思いやって喜ばせて初めて幸せになれるのだと僕は思います。できれば若い人にこそそんな気概を持ってほしい。きっとよりいい社会になるはずです」。東北の復興にはまだまだ多くの時間とお金がかかる。一人ひとりの応援が、東北支援につながる。
マギー審司(まぎー・しんじ)
マジシャン
昭和48年宮城県生まれ。小学生の頃からマジックに興味を持ち、高校卒業後単身アメリカに渡る。一年間プロのマジシャンの下で本格的に修業する。帰国後プロの道を目指して、平成6年マギー司郎に弟子入りする。NHK『爆笑オンエアバトル』で負けナシの10連勝を記録。17年には第21回浅草演芸大賞新人賞受賞。師匠譲りのしゃべりとおとぼけマジックでライブ・テレビ・ラジオ・CMなどで活躍中。「みやぎ絆大使」や地元「みなと気仙沼大使」など地域の活動にも尽力している。
写真・後藤さくら
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