商いの心と技 vol.15 どん底に大地あり

瓶詰めして広田湾に約8カ月間沈めることで味わいを増した「海中熟成珈琲」

「どん底に大地あり」

1945年夏、長崎に落とされた原爆で被爆し、重傷を負いながらも救護活動に尽力した永井隆医師の言葉といわれている。その後も永井医師は、被爆症研究に43歳という短い生涯を捧げた。

NHK朝の連続テレビ小説「エール」では、俳優の吉岡秀隆さんが永井医師を演じ、「神はいるのですか?」と問う若者を例示しながら、こう語っている。

「神の存在を問うた若者のように、『なぜ?』『どうして?』と、自分の身を振り返っているうちは、希望は持てません。どん底まで落ちて、大地を踏みしめ、共に頑張れる仲間がいて、はじめて真の希望は生まれるのです」

このシーンを見たとき、思い出した商人がいる。

被災3日後に再興を決意

2011年の東日本大震災で市街地のほとんどが津波に飲み込まれ、最悪の犠牲者率を記録した岩手県陸前高田市。この地で2代目として婦人服店を営んでいた小笠原修さんは、自宅も店舗も倉庫も全てを津波に流された。

しかし3日後の3月14日、小笠原さんはこのまちで店を再興することを決意した。11カ月後にはコンテナ店舗で営業を再開、2年後にはプレハブ店舗へ移転しながら、地域の商人たちのリーダーとして仲間と共にまちの復興にも取り組んだ。

なぜ、彼は全てが流されたまちで商いを続けたのだろうか。自分と家族だけのことを考えるならば、ほかにもっと楽な選択肢があったはず。事実、東京で事業をしている身内から誘われたこともあったという。

「多くの人命が失われましたが、幸いにも私たち夫婦はそれぞれ親も無事でした。それが分かったのが14日のこと。そのとき、親たちのため、長年ご愛顧いただいたお客さまのため、大好きな陸前高田のために、店をやり直そうと決意したのです」

小笠原さんの希望も、まさにどん底まで落ちたところから始まった。

17年には、ついに中心市街地に本設移転開店。従来の婦人服、服飾品、雑貨を扱う「ファッションロペ」に、自家焙煎コーヒーと食事が楽しめる「東京屋カフェ」を併設し、復興の第一歩をしるす。そこには小笠原さんの商いの哲学と、未来を見据えた戦略があった。

震災から10年が過ぎ、2万4000人いた陸前高田市の人口は1万8000人にまで減少。高齢化率も35%から6ポイント増と、全国平均を大きく上回る。こうした事実を小笠原さんは受け止め、「ならば、そうしたまちで暮らしに役立ち、自らも生き続けていくためには何が必要か」と考えた末の業態開発だった。

月命日に自分を見つめる

小笠原さんは足を止めない。独自性ある商品をつくろうと考えていたとき、自らをどん底に落とした海が目に留まり、出会いがあった。海中に酒を沈めて一定期間置くことで熟成を促す「海中熟成」に取り組むプロジェクトを知り、コーヒー豆で取り組んだところ、うま味、酸味、香りなどコーヒーの味を左右する成分が増した。

こうして誕生した日本初の〝海中熟成珈琲〟は人気商品となり、ドリップコーヒーパックとしても販売。パッケージ表面が自由にデザインでき、裏面がはがき仕様のため郵便で送れるギフトとして人気を集めている。

小笠原さんが毎月11日に続けている習慣がある。その日を、東日本大震災で亡くなった方々の月命日として、自分の考えと行いを精査し、疑ってみるというものだ。

「危機は人を成長させるチャンス。どんな逆風でも足を止めず、先を見て動き、走りながら考えること。震災の月命日には毎月、自分のやっていることを疑い、生まれ変わった気持ちで一歩を踏み出してきました。これからも、そうやってまちの暮らしを彩りたい」最後に彼は言った。

「あの震災に比べたら、コロナはさまざまな課題の一つにすぎません。むしろチャンスと捉えて行動するときです」

どん底まで落ち、底から大地を踏みしめ希望をつかんできた商人の言葉である。

(商い未来研究所・笹井清範)

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