佐藤 圭一 (さとう・けいいち)
1979年7月14日名古屋市生まれ。スキーの障がいクラスはLW8(立位・上肢障がい)。セールスフォース・ドットコム所属
バイアスロンはノルディックスキー競技の一つで、〝雪上のマラソン〟クロスカントリースキーと射撃を組み合わせた競技だ。起伏もある周回コースでの滑走と射撃を数回繰り返すため、高い持久力と集中力が必要なレースは、過酷だが、見応え十分だ。
佐藤圭一選手はノルディックスキー日本代表の一人で、北京冬季パラリンピックに向け、スキー操作と射撃の精度向上に励む毎日だ。
生まれつき左の手首から先がない。スキーに出合ったのは1998年、19歳のときだ。長野パラリンピックで躍動する選手たちの姿に心が動いた。一念発起で未知の世界に飛び込み、25歳で仕事も辞め単身で1年間、カナダでのスキー留学も敢行。帰国後は日本代表監督を自ら訪ね指導を仰ぐなど、競技活動にまい進。重ねた努力と実績で道を開き、2010年バンクーバー大会から18年平昌大会まで3大会連続で冬季パラリンピックに出場を果たした。
さらに、16年にはトライアスロンでリオ大会にも出場し、日本男子選手初の「夏・冬パラリンピアン」にまでなった。もとは夏場のトレーニングに自転車を取り入れたことを機に始めたトライアスロンだったが、才能が開花。14年の国際大会デビュー以降、日本代表に定着した。「夏冬二刀流」でオフシーズンのない競技生活を送るが、「むしろ自分には合っている」と話し、「人はどれだけ強くなれるか」をテーマに挑み続ける。各競技で必要な技術は異なるが、持久力や心肺機能、精神力の強化など相乗効果は大きく、アスリートとして確実な進化を実感している。
東京大会も目指したが、1年延期中の20年8月、練習中に自転車で転倒し、左肩を骨折。損傷は鎖骨や肩甲骨にも及び、3回も手術を受けた重傷の影響は大きく、目標はかなわなかった。
それでも前を向き、冬舞台への練習に励んでいた10月、朗報が届く。過去の実績により招待選手枠での北京大会出場が国際パラリンピック委員会に認められ、代表に内定したのだ。
「夏の競技にチャレンジした新たな経験と、冬競技で10年以上積み重ねてきた経験、その両方を私の財産として、北京パラで全てを発揮します」
乗り越えてきた試練も糧に、的を射抜き、雪原を駆け抜けるつもりだ。
バイアスロン
全力で走り、止まって撃つ ―「動と静の要素」が織りなす奥深さが魅力!
男女別に、立位・座位・視覚障がいの3カテゴリーに分かれて競い、順位は実走タイムに係数(障がいの程度により設定)を掛けた計算タイムで決まる。
射撃は立位と座位がエアライフル、視覚障がいはビームライフルを使うが、全員が伏射で行い、的を外すとペナルティーがある。パラリンピックは距離別にスプリント、ミドル、インディビジュアルの3種目。
日本パラリンピック委員会競技紹介ページはコチラ
最新号を紙面で読める!