メキシコには、人間には〝三つの死〟があるという死生観がある。一度目は心臓が止まった時、二度目は埋葬や火葬をされた時、三度目は人々がその人のことを忘れてしまった時だ。
人は三度目の死から逃れるために、今を生きる義務がある。突然の訃報に接し、私はそんな商人を思い出した。
「術」ではなく「道」を目指す
中学を卒業して大阪の靴下問屋に丁稚(でっち)奉公以来、今年1月、不慮の交通事故により82歳で亡くなるまでの生涯は靴下一筋。1968年に創業した事業は、今では「靴下屋」はじめ靴下専門店およそ280店を展開、靴下単品で売上高150億円を商う。靴下製造小売企業「タビオ」創業者の越智直正さんは記憶に残り続ける商人の1人だ。
数年前にインタビューした時の彼の言葉を今も鮮明に思い出すことができる。
「商売の目的は、お客さまに喜んでいただくことです。それなのに商人の多くが、いかに人をだましてもうけるかに懸命になっているように思われます。もうけることばかり考えている商人は〝術〟の商売に陥っているのです」
「術」とは人をたぶらかすもの。一方、「道」とは己を磨くもの。「術」は「道」へと昇華しなければ、後世に残らないと越智さんは言う。だから剣術は剣道に、柔術は柔道になって残ったが、忍術は滅んでいった。
「多くの商人は今、『道』を学ばずに『術』ばかり研究している。『術』ではなく『商人道』にならないかぎり、けっして世の中に残っていけないでしょう」
越智さんには創業以来追求してきた事業理念がある。現在もオフィスに掲げられ、朝礼では全社員で唱和する次の言葉だ。
凡(およ)そ商品は
造って喜び
売って喜び
買って喜ぶようにすべし
造って喜び
売って喜び
買って喜ばざるは
道に叶わず
江戸時代の農政家、二宮尊徳が遺した言葉に「造って喜び」を加えている。その理念のとおり、越智さんはメード・イン・ジャパンの高品質靴下により多くの愛用者の記憶に残り続けている。
今生の命一切を靴下に捧げる
「人間は誰でもいずれ死にます。死へと向かう足音を聞いたことがありますか。心臓の鼓動や脈拍がその音です。これが止まったら一巻の終わり。足音を感じるたびに、悔いがないように生きたいと心から思います。(中略)どっちみち、僕もみなさんもくたばりまんねん。中途半端に生きたって全力で生きたっていつかくたばる。だったら後悔のないようにしようや。せめて元気なうちは全力で生きましょうや」(越智直正『靴下バカ一代』より)
そんな越智さんが目指した最高の靴下とは、母親の手に包まれるような、さらには第二の皮膚となるようなもの。理想に近づいたと思うものができても現状に甘んじず、次の高みを目指すことを繰り返した商人人生だった。
「選択と集中、そして継続。この三つが勝負を決める。これをやっていけば人間は何とかなるものです」と越智さんは言うと、漢詩の「中庸」の一節「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」を読み、言葉を続けた。「商売はテクニックではない。誠心誠意やらなくてはならないのは、商人としては当たり前のことです」。
あなたの「道」は何だろうか。その道からそれずに進んだとき、お客に喜びを、店に繁盛を授けてくれる。 (商い未来研究所・笹井清範)
最新号を紙面で読める!