足元の世界経済を見ると、主要国ではいずれもインフレ懸念が高まっている。ただ、それぞれの国によって、インフレの原因は異なっているようだ。わが国や欧州諸国では、エネルギーや穀物価格の上昇によって原材料価格が上昇する、いわゆるコストプッシュ型のインフレだ。一方、米国では、コストアップに加えて、賃金上昇による消費者の購買力が上昇する賃金インフレの様相を呈している。コストプッシュ型のインフレでは、企業が原材料価格の上昇分を価格に反映できないと、それだけ企業の収益を圧迫することになる。それに対して、賃金上昇で需要が盛り上がる賃金インフレでは、インフレを鎮静化することが難しくなる。いずれのケースでも、政策当局としてはインフレ鎮静化と景気改善を両立することが難しく、政策運営に頭を痛めることになる可能性が高い。
わが国の企業業績を見ると、賃金の大幅な伸びは考えにくい。日本銀行が異次元の金融緩和を正常化するには時間がかかるだろう。日米の金利差は一段と拡大する可能性が高く、ドルに対する円安圧力は、これからも続く可能性がある。重要なポイントは、わが国経済にとって、円安によるプラス面よりマイナスの方が大きいことだ。世界的な脱グローバル化によって、エネルギー資源や穀物などの供給体制は不安定化している。その状況下で円安が進むと、どうしても輸入物価は上昇しやすくなる。それが現実味を帯びてくると、わが国のインフレ率の上昇や景気減速などの懸念はさらに高まることが懸念される。
過去のわが国の景気循環を見ると、円安は経済にプラスの効果を発揮することが多かった。特に2013年4月に日銀が異次元の金融緩和を発動して以降の円安は、わが国の企業業績を嵩上げした。株価も上昇し、高級腕時計などの売り上げが増えた。〝官製春闘〟の影響もあり、一時的に賃金は増加した。背景には、世界経済のグローバル化があった。それによって世界の企業は最もコストの低い場所で生産を行い、より高い価格で販売できる市場に製品を供給する体制をつくり上げた。
その結果、世界全体で景気が多少過熱気味になったとしても、生産能力にはバッファーがあり物価は上昇しづらくなった。その証左として、わが国企業の海外進出が加速して事業運営の効率性が徐々に高まった。同年4月以降は世界経済が緩やかに回復する中で円安が進み、わが国の緩やかな景気持ち直しが支えられた。
しかし、米中の対立やウクライナ危機などをきっかけに、世界経済は自由主義諸国とロシア・中国などのブロック化が鮮明化し、脱グローバル化に転じている。その影響で、エネルギー資源や穀物の価格はかなり不安定だ。特に、天然ガスや石炭の価格は高い。そうした状況下、円安は輸入されるモノの価格を押し上げる。国内で事業を運営する企業は、コスト上昇分の価格転嫁を急がなければならない。やや長めの目線で考えると世界的に景気が上昇すると、物価は上昇しやすい状況に戻ることが予想される。世界経済は1970~80年代によく似た経済環境に回帰しつつあると考えた方がよいかもしれない。
世界経済がかつての状況に戻りつつある中、わが国経済の競争力は低下している部分が多いと見られる。それは、デジタル家電で韓国・中国などの企業に後塵を拝しつつある状況を見ても明らかだろう。また、新技術や新製品の創出に関しても、海外企業に対する優位性はかなり低下している。それを反映して、わが国の賃金は伸び悩み、消費活動はなかなか盛り上がらない。それに加え、不動産バブル崩壊などによる中国経済の後退懸念や、追加利上げによる米国の個人消費の減少が、わが国の景気減速懸念を高めることが想定される。同時に、今後も円安傾向が続くと輸入物価は一段と上昇し、個人消費はさらに低迷する可能性がある。今後の日本経済にとって厳しい状況が続きそうだ。 (8月14日執筆)
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