テレビや新聞などマスコミから毎日のように問い合わせが入り、取材や撮影の依頼が後を絶たない商店街がある。しかし、以前はそうではなかった。
「知名度もなければ、何もない商店街でした」と振り返るのは、東京都品川区にある戸越銀座商店街連合会専務理事の亀井哲郎さん。1926年に創業した宝石・時計・眼鏡専門店「ギャラリーカメイ」の3代目として自らの商いに励み、商店街活性化に取り組んでいる。
商店街の名をブランドに冠する
「ここにしかない!ここでしか買えない!そんな商品が必要だ」という思いで、30代半ばの頃の亀井さんが書き上げた1枚の企画書の表題は「戸越銀座オリジナル商品開発参加のお願い」。商店街で統一のロゴマークやパッケージデザインを作成し、コンセプトや開発理念、商品説明、商店街の生いたちや背景などを明示して、各店で販売していこうという企画で、それによって商店街の社会的認知度やイメージアップを目的としたものだ。
みんな面白がって賛同してくれるだろうと、商店街の理事会に提案したところ、亀井さんが浴びたのはまったく逆の反応だった。
「他人の店の商品にまで口出しするな!」
「いったいどれくらいコストがかかると思ってるんだ!」
「売れなかったら誰が責任を取ってくれるんだ!」
それでも可能性を訴え続けると、やがて1人、また1人と彼の熱意に打たれ、賛同してくれる先輩たちが現れた。1999年、こうしてとごしぎんざブランド第1号「江戸越えの純米酒 とごしぎんざの御酒です」が誕生した。
折しも大店立地法施行直前、全国の商店街衰退に拍車がかかっていた。以来、戸越銀座の知名度を上げることを最優先にブランド事業を進め、現在では20店で50品目ほどの商品がそろい、商店街の知名度を高め続けている。
欲しいものがある商店街を目指して
とごしぎんざブランドが知られるようになると、域外からの来街者が増えていった。亀井さんは、そうした人たちのブログをチェックして、戸越銀座のエゴサーチに努めたという。
すると、その一つに「コロッケの食べ歩きをしたらおいしかった」という感想があった。確かに商店街にはコロッケを扱う店がいくつもあり、それぞれが地元住民に愛されていた。
「長い通りをいろんなコロッケを食べ歩いて回ってもらえたら、戸越銀座に来ていただいているお客さまにもっと楽しんでもらえるのでは……」。後に名物となる「戸越銀座コロッケ」を亀井さんが着想した瞬間だった。
しかし、事は簡単に進まない。商店街からは「今さらコロッケなんて誰も注目しない」と反対され続けるが、亀井さんは諦めなかった。そんな折、地元にある大学の教授と知り合い、研究室の学生たちの協力を得られることになる。
彼らの力を借りながら、コロッケを扱う精肉・総菜店7軒にのぼりを立て、地図を作成して配布。新聞社やテレビ局に働きかけて取り上げてもらうと、まちにはさらに多くの来街者が訪れるようになっていった。するとさまざまな飲食店が加わり、コロッケは20種類を超え、戸越銀座は「コロッケの街」として知名度を上げていった。
「あんたらが一生懸命やっているのは分かる。だけど、こんな金券もらったって、私の欲しいものはあんたたちの商店街では売っていない」
昔、あるイベントで500円の金券を配っていたら、あるおばあちゃんから亀井さんはこう言われ、ショックを受けたという。「商店街活性化とは、一度失った地域の人の信頼を取り戻す営みです。ですから、徹底して〝欲しいものがある商店街〟にしていきたい。かといって、それは商店街の外から持ってくるものではありません」と亀井さんは言う。
確かに、とごしぎんざブランドも、戸越銀座コロッケも、もともと商店街に存在したものだ。活性化のヒントが足元にあることを戸越銀座は教えてくれる。
(商い未来研究所・笹井清範)
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