船井総研創業者の舩井幸雄氏は、子会社100社構想を抱いていました。しかし24社しかつくることはできず、この夢をかなえることはできませんでした。それはなぜか。当時はそれを言う立場ではなかったので口にはしませんでしたが、子会社の社長の多くがサラリーマン意識だったからでした。
サラリーマン社長とオーナー社長の一番の違いは、寝ても覚めても経営のことを考えているかどうかです。
私は、火事で全てを失った父がディスカウントストアで再出発するのを助けるために大学院を辞めて家業に入ったので、死にもの狂いになって働きました。船井総研に入っても仕事の勢いはそのままで、休みも取らず売り上げを伸ばしていきました。
舩井氏が、「自分と同じオーナー意識を持っているのは小山君だけだ」と語ったことを、人づてに聞きましたが、私は元から経営者意識しか持ち合わせてないのです。
100社構想。それには"経営の神様"と呼ばれた松下幸之助さんが行った事業部制と同じ狙いがありました。
松下幸之助さんは昭和8年、日本で初めて組織としての事業部制を実施しました。工場群を三つの事業部に分け、ラジオ部門を第一事業部、ランプ・乾電池部門を第二事業部、配線器具・合成樹脂・電熱器部門を第三事業部とし、各事業部を開発から生産、販売、収支の管理まで経営責任を負わせる独立採算の事業体としたのが始まりです。
事業部制の導入は、成果がはっきり分かり責任が明確になること、そして一切の責任を持って経営に当たることで経営者の育成を図る、これが目的です。舩井氏が求めたのは、経営者意識を持った強い集団だったのです。
経営者意識。これを持たせるために松下幸之助さんは、時には大声で叱責(しっせき)することもあり、部長たちはそれが怖くて仕方なかったようです。ある時は「自分で銀行に行って2億円借りて来ればいい」と突き放し、またある時は、「会社から貸した金を引き上げる」「もし目標に届かないなら、この事業部は解散する」と宣告するなど、さまざまな形で責任者を追い込んだそうで す。
追い込まれると、事業部を守るために必死で活路を探します。その必死さが社員を変え、経営者意識を持つようになるのです。
船井氏の100社構想は、社長たちを追い詰めずに自ら指示をしてしまったことで、彼らの意識を変えられずに終わりました。
社員の能力は急速には伸びません。しかし意識やモチベーションは変えられるのです。サラリーマン意識をいかに変えるかは、トップの考え一つにあると思います。
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