「記憶に残る幕の内弁当はない」とは、作詞家、音楽プロデューサー、放送作家と多様な才能を持つヒットメーカー、秋元康さんのものづくりの鉄則として有名な言葉。かつて、予備校講師でありタレントの林修さんが司会を務めるテレビ番組で、その真意を次のように語っている。
「例えば『ゴールデンタイムに林先生一人で哲学の番組をつくろう』っていうのは勇気がいるけど、当たったらぶっちぎりなんです。でも、どんどん『お笑いの人、誰か入れたほうがいいんじゃないか』『誰かかわいい子を入れたほうがいいだろう』と、だんだん幕の内弁当になっていく。今までで一番おいしかった幕の内弁当って思い出せます?」
このように幕の内弁当を例に、一点突破の単品主義の持つ強さを表現。筆者も共感するところがあった。
記憶に残る幕の内弁当はある
しかし、半面は正しく、半面は誤りであることを知る機会を得ることになる。〝幕の内弁当理論〟を超えた幕の内弁当を知ったのである。
中部地方最大のターミナル駅、名古屋駅から徒歩5分足らずの距離に、その会社はある。江戸時代に魚問屋として創業し、漬物屋、料亭、そして駅弁・弁当屋としておいしさを追求する技術と心を受け継いできた「松浦商店」では、およそ13種類の駅弁を製造。それぞれの味で旅行客の舌を楽しませてきた。
「実は、それらのうち売り上げトップ3を占めているのが幕の内弁当なのです」と語るのは、同社の松浦浩人社長。
理由は、具の一品一品のおいしさにある。どの具も熟練の調理人による手づくりであり、玉子巻き、煮物、焼き魚、揚げ物のどれもが単品で勝負できる味を誇る。例えば、玉子巻きは、中までしっかり火が入るよう熱伝導率の高い銅製の玉子焼き器を用い、職人が一つ一つ丁寧に薄焼き玉子を幾重にも丸めてふっくら焼き上げている。
一つ一つの品質が高く、それぞれの特徴を生かす姿は、この春先にWBCを制覇した侍ジャパンを思わせる。ちまたの幕の内弁当が記憶に残らないのは、それぞれが一軍半から二軍の寄せ集めだからなのである。
未曽有の危機を好機に変える
駅弁をつくって100年超の歴史を持つ同社にも、未曾有の危機は訪れる。2020年に発生したコロナパンデミックだ。
人の移動が制限され、旅行あってこその駅弁は大打撃を受ける。その年のゴールデンウイークの売り上げは、前年同期比95%減となった。
「なんとかしなければ」と、松浦社長は社員と共に活路を探し求めた。さまざまな挑戦に取り組んだが、ほとんどが成功にはつながらない。それでも、挑戦をやめなかった。
突破口は過去の失敗の中にあった。コロナ禍前、同社では日本人の国民食でありながら、駅弁とは縁遠いカレーを商品化しようと、冷めても味の損なわれない「冷めても美味しいキーマカレー弁当」を試作の末に開発。社内での評価は高かったものの、「冷めても」というフレーズがマイナスに働き、自信作でありながらわずか半年で生産中止となる辛い経験があった。
「カレーでもう一度勝負!」と、21年に「キーマカレーぱん」を開発。期間限定での催事販売の好評を受け、22年6月にカレーパン専門店「マツウラベーカリー」を名古屋駅の名鉄百貨店に開店する。
キーマカレーには同社の人気弁当「天下とり御飯弁当」で使われている鶏そぼろを使用し、隠し味に地元岡崎の八丁味噌(みそ)とハチミツを加えることで、幅広い世代に親しまれる味を追求。地元の人気ベーカリー「テーラ・テール」から生地の供給を得て完成した、駅弁屋のつくるキーマカレーぱんは今や名古屋の新たな定番土産に育とうとしている。
同社の新事業の根本にあるのは同社が守ってきたおいしさへのこだわりだ。それが結実したのが幕の内弁当であり、長年培ってきた豊かな土壌に咲いたのがキーマカレーぱんなのである。
幸せの青い鳥は自社の外にいるのではなく、自社が長年大切にしてきたものの中にこそある。そんなことを教えてくれるカレーパンである。
(商い未来研究所・笹井清範)
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