「私が最も影響を受け、最も好きな言葉と出合ったのは、当時の全てを注ぎ込んだ新店の開業より前のことでした。若い頃、この言葉を唱えた倉本長治さんが主筆を務める雑誌『商業界』を読み、純度の高い結晶のような言葉を私はそこで見つけたのです」
こう語るのは、柳井正ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長。当時の全てを注ぎ込んだ新店とはもちろん、1984年に広島市に1号店を開業した「ユニクロ」である。およそ40年後の今日、ユニクロは日本をはじめ23の国と地域に2440店舗(2023年5月末現在)を数えるまでに成長した。
同社23年8月期業績は売上高2兆7300億円(前期比18・6%増)、営業利益3700億円(同24・4%増)。日本の小売業では3位にランクインするばかりか、世界のアパレル製造小売業でもZARA(スペイン)、H&M(スウェーデン)に続く存在となった。
23年8月期上期決算説明会では、売上高を今後10年程度で10兆円にする目標を表明したことは記憶に新しい。ステートメントに掲げる「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」の実現に向けて同社の革新はとどまるところを知らない。
「10回挑戦すれば9回は失敗する」
しかし、その航海はけっして順風満帆だったわけではない。「10回新しいことを始めれば9回は失敗する」と自らが語るように、同社の歩みは挑戦と失敗の歴史でもある。
1949年、山口県宇部市の地方商店街に小さな紳士服店が開業した。同じ年にその家に生まれた柳井氏は大学を卒業すると、父親の勧めで誕生間もないジャスコ(現イオン)に入社。しかし1年と続かず、友人の家に居候しているところを父に呼び戻され、実家の小郡商事に入社した。
中小店の2代目を目覚めさせた言葉
そんな柳井氏の目にも、家業の仕事の効率や従業員の態度の悪さが目立った。それを直そうと指導すると、7人中6人の従業員が辞めてしまった。なんとかしなければと柳井氏は、残った番頭と共に店と経営の現場・現物・現実の全てと向き合い、革新と挑戦を繰り返していった。
84年に父の後を受け小郡商事社長に就任すると、ユニクロ1号店を開業。そのコンセプトをまとめた1枚の紙の1行目には「本屋で雑誌を買うように、ファッションを気軽に買える店」と書いた。
その後、郊外店の多店舗化を進め、98年の原宿出店とフリースブームにより全国区の地名度を得るが、ブームの反動による業績の低迷、野菜販売の失敗、海外出店の挫折、若手経営者への権限移譲の不成功と、まさに自著『一勝九敗』を地で行く道のりだった。
そんな柳井氏を覚醒させ、常に支え続けた言葉がある。
店は客のためにある――。
「昭和の石田梅岩」「日本商業の父」といわれた男、倉本長治の教えである。倉本は柳井をはじめ日本の小売業史を語る上で欠かせない多くの経営者を導き、彼らから「師」と慕われた経営指導者である。
柳井氏はこの言葉への思いを語る。
「これまでに、倉本さんが遺してくれた教えに何度も励まされてきました。私の〝座右の銘〟はこれ以外にありません。経営の目的とは『お客さま』と呼ばれるファンを増やしていくことであり、私が経営者人生を懸けて追求してきたことでもあります。当社の企業理念である『服を変え、常識を変え、世界を変えていく』ことこそ、私にとっての『店は客のためにある』の実践にほかなりません」
後に柳井氏は、この言葉が「店員とともに栄え、店主とともに滅びる」と続くことを知る。以来、執務室には倉本の教えが掲げられている。額には記されていない「店主とともに滅びる」という言葉も、自らの戒めとして常に心にとどめ、経営に向き合っていることは言うまでもない。
(商い未来研究所・笹井清範)
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