精穀業から倉庫業に展開
愛知県北部の小牧市一帯は、高速道路と空港に近接し、中京地区の製造業における物流の要衝となっている。この地域で倉庫業と精穀業を中心としたグループ企業を形成している福玉は、小牧市に隣接する大口村で1874(明治7)年に創業した。初代の社本九平と息子の市右ェ門が、水車で精米・精麦・製粉・製麺を行う工場を開いたのが始まりである。
「明治元年、近くの貯水池が大雨で決壊して、多くの被害を出しました。初代は、その水流の威力を見て、水車を動力にして麦や米を精穀することを考え、川に水車小屋を建てました。以来、近隣農家の農作物を精穀したり、うどんや飼料をつくったりしてきました」と、初代から数えて六代目となる社長の社本光永さんは言う。
精穀業に加えて倉庫業も始めたのは、社本さんの祖父の鋭郎(えつろう)さんだった。1948年に福玉株式会社と福玉精麦株式会社を設立すると、その3年後には名古屋港の中川運河に土地を得て倉庫を建設し、福玉精麦の社名を福玉精麦倉庫に改めた。当初は、精麦工場にするつもりでいたが、役所の人から「工場よりも倉庫にした方がいい」と言われたからだった。
「同じ年、祖父は大口村の村長に任命され、自分の代わりに次男の宮明に倉庫の創業から運営まで任せました。宮明は私の父で、父は当時、まだ大学3年生だったのですが、京都の大学に通いながら、学ラン姿で名古屋港の海運局に通い、倉荷証券(寄託物の保管を証する有価証券)発行許可の手続きを行っていました。新幹線などない時代ですから、京都と名古屋の列車での移動は大変だったと思います」
工場誘致で倉庫需要も増加
倉庫を建てても、どこに営業に行けばいいか分からない。そこで宮明さんは名古屋港に行き、降ろされた貨物の荷札を見て、そこに書かれている届け先に営業をかけていった。それにより倉庫に預かる荷物を増やしていったという。
「大きかったのは家電メーカーの名古屋工場とのご縁で、冬から春にかけてつくった扇風機を夏場に一斉に出荷するための倉庫として使っていただきました」
