運動会などで活躍した拡声器、子どものおもちゃ、マッチや畳など、一時は暮らしや娯楽に欠かせなかった商品を扱う企業も、今や廃業の危機……。いやいや、培ってきた技術と時代に合わせた発想で“レトロ商品”をアップグレードして、新たな販路を切り開くことは可能だろう。老舗の誇りを賭けたものづくり企業の生き残り戦略に注目だ。
伝統マッチの再定義で切り開く新市場
1900年の創業以来、連綿とマッチ製造を担ってきた日東社。時代の変化とともに需要が減少の一途をたどる中、同社が取った巻き返しの一手は、マッチを日用品からインテリアグッズへと再定義することだった。そうしてブランドマッチの意匠を受け継いだ「ブルーラベル」を生み出し、業界に新たな火を灯(とも)しつつある。
需要減の中で進めた多角化と事業譲渡による意匠の継承
兵庫県姫路市は、知る人ぞ知る“マッチのまち”だ。明治時代から地場産業としてマッチづくりが盛んで、日本全国の生産シェアの大半を占めてきた。
「この辺りは気候が安定していて、軸木につける頭薬の乾燥に適していたことや、神戸の港が近く、輸出に便利だったことから、産業として発展しました」とマッチ製造で120年以上の歴史を持つ日東社専務取締役の大西潤さんは説明する。
当初同社はマッチを入れる木箱の製造を請け負っていたが、後にマッチの一貫生産体制を確立して会社の基盤を固める。戦後は、広告マッチにも力を入れ、需要を伸ばしていった。
ところが、使い捨てライターの普及に伴い、73年をピークに業界生産量は減少の一途をたどる。かつて地域に100社近くあったマッチ工場が次々と廃業していく中、同社は経営多角化に乗り出し、ポケットティッシュや紙おしぼりなどの紙製品の製造、ライターの名入れなども扱うことで、業績を維持してきた。マッチの生産量がピーク時の100分の1となった今、同社は廃業した同業数社から事業譲渡を受けるなどして、国内シェア8割近くを占める会社となった。
「受け継いだマッチの中には、明治時代に商標登録されてから、デザインを変えていないパッケージがあります。廃業していった会社にも『マッチ文化の火を消したくない』という強い思いがあったはず。その思いを胸に、全部で7種類あるデザインを『日東社ブランドマッチ』としてつくり続けてきました」
危機を機に舵(かじ)を切ったマッチの付加価値創出
そんな同社が新たな危機に直面したのがコロナ禍である。駅前でティッシュの配布がなくなり、飲食店の休業により紙おしぼりの需要が激減し、原材料の高騰も重なって急速に赤字に転落。同社は、マッチとライター事業のみを残して紙事業を売却し、150人いた従業員も40人に縮小することを余儀なくされた。
「老舗だからと安定や維持を目指していたら、衰退につながります。付加価値の高い商品開発に転換しなければ未来はありません。コロナ以前から、何か新しいことを考えなければと思っていましたが、危機を迎えたことで新商品開発に本腰を入れました」
