すごんでも、笑顔でも、はたまた〝歩くだけ〟でも、強烈なインパクトを残す俳優の河内大和さん。長年、舞台を軸に活動してきたが、近年、テレビドラマに映画にと、映像作品での活躍が目覚ましい。自ら劇団を主宰し、シェイクスピア作品に真摯(しんし)に向き合い、心技体を磨き続けた。そして、40代半ばでビッグチャンスをつかみ取り、新たなステージへ踏み出している。
トリッキーな役「歩く男」で日本アカデミー賞新人賞受賞
「あ、『VIVANT』の(悪役)!」
「『8番出口』のおじさん!!」
本名でも役名でもなく、出演した作品名で道ゆく人に指差される。こうした環境の変化に、俳優の河内大和さんは至って冷静だ。
「帽子をかぶらず、まちを歩こうものなら大変です。でも、諸先輩からは、こうした反響は『10年は続くよ』と言われて覚悟はできていますし、知ってもらえた喜びの方が大きいです」
河内さんを有名にした最たる作品が、2025年8月公開の映画『8番出口』。原作は、世界で累計230万本超の販売記録を誇る大ヒットゲームで、地下通路に何らかの〝異変〟があったら引き返し、なければ進んでゴールの8番出口を目指すというものだ。
このループする地下通路で、主人公が毎回すれ違う「歩く男」を、河内さんが演じた。同じ道筋、同じ歩幅、同じ表情で歩くだけ。主演の二宮和也さんに「おじさん」という呼称で、〝異変〟がないかチェックされるだけの人である。
CGと見紛う正確な動作と無表情。そして〝異変〟としてニカッと口を広げた笑み。容姿という天賦の才だけではなく、長年、歩き方だけで演じ分けられるほど、演技の研究を重ねてきた素地があればこそだ。二宮さんのアドリブにも、歩幅と速度を調整する適応力あっての〝おじさん〟の精度である。そしてこの役で、26年、第49回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。今後、世界30以上の国や地域での上映が決まっており、〝8番出口のおじさん〟としてワールドワイドに知られることになる。
シェイクスピア俳優として栄光と挫折を20代で経験
そもそも河内さんが、役者を目指したのは大学時代と遅めだ。小中高はスポーツ少年で演劇にはまるで興味がなかったそうだが、高校3年生の時、友人の影響で洋画にハマる。雪国への憧れと父親が測量士という漠然とした理由で、新潟大学に入学するが、ここが人生の分岐点となった。
「父の後を継ぐ気はなく、やりたいことが見つかっていない状態でした。そんな時に、新入生歓迎のステージでの演劇研究部のパフォーマンスに圧倒されました。入部すると楽しすぎて、勉強そっちのけでした」
自分の容姿も性格も嫌いだったと言い切る河内さん。自分以外の誰かになれること、大学3年生の時に新潟市民芸術文化会館(通称:りゅーとぴあ)が開館したことも重なり、大学を中退して演劇にのめり込んだ。
「りゅーとぴあの養成講座で、初めてシェイクスピアの『夏の夜の夢』に触れました。詩的な言い回し、ダイナミックなストーリー展開、深く熱い人間模様……、演じるほど、文化的にも芸術的にもひかれました」
すっかりシェイクスピアに魅せられた河内さんは、2000年、22歳で俳優デビューする。それもシェイクスピアの舞台劇「リチャード三世」でだ。04年には「りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ」の立ち上げに参画し、ほぼ全作に出演した。
「リチャード三世、リチャード二世は、今もほぼ毎年上演している、自分にとって心身のバロメーターになっている作品です。それと役者としての転機となったのが08年ごろに演じた『ハムレット』。主役のハムレットは、とにかくいろいろな人と話すので、話し方、声量、間の取り方など自分のダメさ加減がどんどん出てきます。どう克服するかを突きつけられて、聴く力や声質、声量の幅が広がりました。役者なら一度はハムレットを演じた方がいいと思うぐらいです」
順風満帆な俳優人生かと思いきや、そうではない。20代は納得のいく芝居ができず、演技指導が厳しい環境下によるストレスで、声が出なくなってしまう。27歳で地元の山口県に戻ると、約1年半、実家に引きこもった。そこへ、新潟で懇意にしていたプロデューサーから海外公演の主演話が舞い込み、「これを最後に」と引き受けた。公演は大成功に終わり、新潟での凱旋(がいせん)公演で、客席からの温かな声援と拍手に包まれて、河内さんは再び舞台に立つ決心をした。
出会いと奇跡が重なってビッグチャンスをつかむ
10年、32歳で河内さんは上京すると、3年後には劇団「G・GARAGE///(ジーガレージシェイクスピア道カンパニー)」を立ち上げた。
「主宰になれば、オファーを待たずして主役になれますから」と笑うが、「自分だけが脚光を浴びればいいのではなく、団員の幸せをベースに考えられるようになっていきました」と続ける。実際、団員7人は旗上げ時から欠けることなく、海外メディアにも絶賛される劇団に成長する。
一方で、河内さんは俳優としてのキャリアも磨いた。デビュー作で出会った俳優の吉田鋼太郎さんとの縁で、演出家の故・蜷川幸雄さんの作品に出演し、演出家の白井晃さんには、シェイクスピア劇特有の演技を徹底的に修正された。「27歳の時の挫折に匹敵する試練」だったそうだが、その猛特訓で河内さんは役者として一皮むける。大学時代から大ファンだった演出家・野田秀樹さんの目にも留まり、21年には舞台『THE BEE』の主要キャストに大抜てきされる。そして、この舞台を観劇したのが、『VIVANT』のプロデューサーだった。
「舞台公演は通常、数年先まで決まっているのですが、コロナ禍で延期や中止が重なって6カ月間予定が空きました。それがドラマ収録の日程と重なったのは、奇跡です」
初のテレビドラマは、初の海外ロケで、それも日本人ではなくバルカ人役で第一声はモンゴル語。共演者にはトップ俳優の名がずらりと並ぶ大チャンスは、難易度マックスでもあった。
「人生最大にして最後の挑戦。そう思って臨みました。ずっと緊張しっぱなしでしたし、10年早かったら重圧に耐えられなかったと思います」
そんな緊張をみじんも感じさせない怪演は絶賛され、映画『8番出口』、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』など大作への道が広がった。
「いつかは映像作品に出たい。大河に出たいと言い続け、いろんな方たちとの出会いに恵まれて、ここまで来ました。自分の容姿も受け入れられるようになりましたが、今も先輩たちへの憧れと、歯がたたない悔しさが原動力です。飛び道具的な役や悪役が多いですが、いつか主役を張れる役者になりたい。そうなるためにはまだまだこれからです」
大チャンスをつかんでなお、慢心せずに全力で大舞台に挑戦し続けている。
河内 大和(こうち・やまと)
1978年山口県生まれ。2000年舞台『リチャード三世』で俳優デビュー。04年「りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ」の立ち上げに参画し、ほぼ全ての作品に出演。10年に脱退し、上京。13年劇団「G.GARAGE///(ジーガレージシェイクスピア道カンパニー)」を旗揚げ。23年『VIVANT』でTVドラマ初出演、26年には初出演映画『8番出口』で第49回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。26年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』、映画『黒牢城』ほか多数に出演
写真・後藤さくら
