近年まれに見る猛スピードで番付を駆け上がる力士がいる。ウクライナ出身の安青錦新大さんだ。2023年9月の秋場所で初土俵を踏んでから、所要14場所で大関に昇進。それも新入幕から5場所連続で2桁勝利という驚異的な記録を刻んでの出世だ。18歳の誕生日目前に単身来日を決めてからはや4年、安青錦さんの覚悟を聞いた。
日本から遠く離れたウクライナで相撲にハマる
「相撲の観戦チケットが全く取れない。特に本場所は入手困難」
そんな声も珍しくないほど、大相撲界は活況だ。チケットは、発売と同時に全日程が即完売。年配者の支持層が厚いスポーツであり、日本文化というイメージが強いが、今や推し活グッズが充実し、若い女性やインバウンドの観戦も増えている。SNSやドラマの影響もあるが、〝推し活〟の対象となる人気力士の活躍あっての盛り上がりだ。そして、その一人に安青錦新大さんの名がある。ウクライナ出身で、本名はヤブグシシン・ダニーロ。驚異的なスピードで大関に昇進し、来日わずか4年とは思えない流ちょうな日本語や、謙虚な立ち居振る舞いでも注目を集める。
生まれも育ちもウクライナだが、安青錦さんが相撲に出合ったのは7歳と比較的早い。通っていたレスリング教室の先生が、レスリング指導の合間に相撲も教えてくれた。その相撲にひときわ興味を示したのが、ダニーロ少年だった。
「相撲の方が、勝ち負けがすぐ決まるし、ルールも分かりやすい。教室の誰にも負けなかったので、単純に楽しくて……」
ウクライナは、アマチュア相撲の人口が多く、世界大会でも強豪国だ。だが、メジャーなスポーツではなく、教室も柔道やレスリングとの併用がほとんど。安青錦さんも相撲したさに17歳までレスリングを続けた。一方で、国内大会110㎏級で優勝するほど、レスリングでも実力を発揮していた。「でも、オリンピックに行ける実力はなかった」と謙遜しつつ、「プロになるなら相撲と決めていました」と言い切った。
戦禍のウクライナを逃れ18歳で単身日本へ
安青錦さんが、ここまで相撲に傾倒するきっかけの一つに、小学生の頃、ネット動画でみた02年9月場所の貴乃花と朝青龍の取組がある。両者一歩も譲らない粘りに粘る対戦で、土俵を囲む客席からの大歓声、会場の熱気は、時代も国境も超えて安青錦さんの心をつかんだ。
「いつか自分も同じ土俵に立ちたい。大相撲力士になりたい」
その夢の第一歩となったのが、19年、15歳で出場した、大阪で開催された世界ジュニア相撲選手権大会だ。初めての日本。優勝を逃して3位となるが、この大会で安青錦さんの人生を変える出会いがあった。安青錦さんの取組に注目した、関西大学相撲部主将(現・関西大学職員)の山中新大さんだ。山中さんに声をかけられ、インスタグラムをフォローし合い、以後、互いに慣れない英語で交流を続けた。
その後の安青錦さんは、名門・ドネツィク国立大学に入学し、卒業後に相撲の世界大会で優勝してから日本へ……と、将来の夢を思い描いていた。だが、22年2月にロシアがウクライナに侵攻。18〜60歳までのウクライナ人男性は出国不可となってしまい、翌月18歳になる安青錦さんは、父親のいるドイツに母親と共に急きょ渡った。戦禍を無事逃れたものの、ドイツでは相撲ができる環境がなく、その後の進路は「働く」という選択肢のみだ。
「7歳からやってきたことが、全部無駄になってしまう。今、行動しなければ、いつか後悔すると思いました」
迷っている時間はない。一縷(いちる)の望みをかけて連絡した先が山中さんだ。「日本に避難することはできますか」。この1通のメッセージから、22年4月、安青錦さんは単身来日する人生を切り開いていった。
初土俵からスピード昇進 けがとの向き合い方も勝負
来日してから約8カ月間は、山中さんの自宅に居候し、寝食を共にした。関西大学相撲部の協力を得て、稽古に励むものの、先の見通しは立たない。角界の相撲部屋に入れる保証はなく、まして各部屋の外国人枠は1人と狭き門だ。だが、そうした不安よりも、強くなりたい一心で、稽古に集中したと振り返る。
「土俵がマットじゃないことも新鮮でしたし、稽古内容がまるで違いました。特にぶつかり稽古はウクライナではやったことがありませんでした」
稽古以外の時間も相撲研究に費やした。圧巻の強さでも、おごることなく、相撲にいちずな安青錦さんの姿に、周囲が動いた。関西大学のほかに報徳学園でも時折稽古をしていた安青錦さんを、福田耕治監督(当時)が、相撲部屋を立ち上げたばかりの安治川親方に紹介してくれたのだ。相撲部屋に入れる千載一遇のチャンス到来であるが、当時は思いを伝えるだけの日本語も、日本特有の礼儀作法もままならない。
「取り繕わず、ありのままの自分を見てもらおうと割り切りました」
断るつもりで会ったという安治川親方が、安青錦に向けた言葉は「うちにおいで」。さらに「相撲より日本語を覚えることが先」と助言し、安青錦さんの日本語習得は加速していく。
「分からない日本語はしつこいぐらい聞いて、メモして、恥ずかしがらずに使うことを心がけました」
22年12月に安治川部屋の研修生となり、翌年7月に新弟子検査をパスして正式に入門。四股名(しこな)は、親方の現役時代の「安美錦」の「安」と、ウクライナの国旗の「青」、そして来日に手を差し伸べた山中さんの名から「安青錦 新大」。23年9月、19歳で初土俵を踏むと、25年3月場所までのわずか9場所で新入幕(幕内力士)となり、14場所目となる25年11月場所で横綱・豊昇龍を破っての初優勝。これは「言葉では言い表せない気持ち」と振り返る。初土俵から史上最速の金星(年6場所制となった1958年以降、付出し力士を除く)で、この後も快進撃が続く。新関脇・新大関の2場所連続優勝は双葉山以来、89年ぶりの快挙で、26年の3月場所には綱とりの期待が高まった。
だが、十両から一度も負け越さず、新入幕からは11勝以上の好成績をたたき出してきたが、3月場所は、7勝8敗と初の負け越し。その後、左足小指の付け根骨折と診断され、春巡業休場、5月場所がかど番(負け越すと関脇に下がる状態)となってしまった。
「18歳で安治川部屋に入れたことで、力士として、人間として大きく成長したと思います。相撲以外のどんなことも相談できる親方、サポートしてくれるおかみさんがいるので不安はありません。どんな状況、相手を前にしてもライバルは常に自分です」
大きな壁を前にしても冷静沈着だ。本誌の取材は5月場所前。どんな結果でも、この先の安青錦さんの取組に手に汗握り、力のこもった声援が増えていくことに変わりはない。
安青錦 新大(あおにしき あらた)
力士
2004年ウクライナ・ヴィンニツャ生まれ。7歳でレスリングの練習の傍らで相撲を始める。19年に大阪開催の世界ジュニア相撲選手権大会で3位受賞。22年4月に来日し、関西大学相撲部や報徳学園中学校・高等学校の練習に参加。同年12月に安治川部屋の研修生となり、23年7月に正式入門。同年9月に初土俵を踏む。25年に2場所連続優勝し、89年ぶりの快挙を達成。26年1月場所で史上初のウクライナ出身の大関となり、史上最速の昇進を果たした
写真提供・安治川部屋
