秋田県を拠点に活動する画家、永沢碧衣さん。時空を超え、ミクロとマクロの視点が交錯するダイナミックな作品が、見る者の胸に迫る。自然賛美でも警鐘でもない、自然界の深淵(しんえん)に踏み込む作品群は圧巻だ。釣りや狩猟を嗜(たしな)み、ときに動物の皮革や血液から膠(にかわ)や顔料を精製する永沢さん。地に足を着けた自然界との対峙(たいじ)から、1枚の絵に新たな命を注いでいる。
自然を全力で楽しむ大人たちと遊ぶ
クマが山を、山がクマを内包した絵―永沢さんの作品を目にすると足を止めずにはいられない。繊細なタッチから浮かび上がる、原始的な躍動感と普遍的な静寂。日常の時間感覚とは異なるスケールの、叙事詩のような作風に引き込まれる。受賞歴多数の新進気鋭の画家・永沢碧衣さんは、生まれ育った地である秋田県で活動を続けている。自然豊かな地だが、より山深いエリアに永沢さんを最初に引き込んだのは、父の敏晴さんだ。奥山に分け入る趣味の渓流釣りに、ことあるごとに誘ってきたという。
「『行かない?』『付いてきてもいいんだよ』と強制しないながらも、来てほしい気持ちがあふれていました」。苦笑しながら永沢さんは、そんな少女時代を懐かしむ。祖父も山菜採りやキノコ狩りの名人で、「自然を全力で遊ぶ大人」の代表格に祖父と父がいると語る。
こうした原風景が、永沢さんの創作の下地となる。元来、図工や美術が得意だった永沢さんは、小学生の頃には読書感想画コンクールで賞に輝くなど、画家としての片りんをすでに見せていた。中学時代は吹奏楽部でピアノを弾き、高校時代は看護師を目指していたというが、部活動をきっかけに美術に傾倒していった。
「文化部が少なかったこと、母の母校だったこともあり、母と同じ美術部に入りました。すると先輩や同級生の作品が、どれも作家性を帯びたハイレベルなものばかり。元々負けず嫌いなので、もっとうまくなりたいと夢中になりました」
その思いは強く、表現することを仕事にしたいと考えるまでになる。高校3年の春、看護師になるべく選んだ理数系のクラスを、文系に切り替えて周囲を驚かせた。
「美術大学の学費は高いですし、親をどう説得したものかと悩んでいたら、県内に公立美術大学ができることが分かり、切り出せました」
永沢さんが門戸をたたいたのが、2013年に短大から四年制大学として開学した秋田公立美術大学だった。
マタギ文化に触れ人と自然の境界を歩く
「大学1、2年までは絵画や彫刻、工芸やメディアアートなど総合的に学べる大学だったので、表現方法が漠然としていた私としては、いろいろ挑戦できて、コンペに出しては表現スタイルを模索していけました」
恩師の“ニッポン画家”山本太郎さんにちょうどその頃、出会う。表現する作品がデザインかアートかも、まだ定まっていなかった永沢さんに対し、表現しているものは「アート」であり、方法は「絵画」であると方向性を示唆した。実際、デザイン部門で特賞に輝いた作品も、後に審査員らが山本さんと同意見だったことを知ることになる。
即物的な何かではなく、世界観を表現したい。そう考えた永沢さんは、日本各地の歴史や文化を体感するフィールドワークをベースに、絵を描くスタイルを見つけつつあった。そうした中で、地元・秋田に根付くマタギ文化に出合う。
「小さい時から釣りをしてきたので、生き物の中でも魚が好きです。卒業制作もサケやマスが泳ぐ水辺と私自身のルーツをたどった作品ができたらと、渓流釣りの漁師さんに会うために向かった先が、マタギ文化発祥の地といわれる北秋田市の阿仁地区でした。そこでマタギが単にクマを狩る人ではなく、自然と向き合う生き方そのものだと感じました」
