北海道帯広市のソウルフードといえば、豚丼と「カレーショップ インデアン」のカレー。同店は、十勝・道東で13店舗を展開する名物店だ。その歴史は古く、経営母体である藤森商会は1899年創業、代表取締役社長の藤森康容さんで五代目を数える。地域活性化をけん引しつつ、売上高100億円企業を目指す。
時流を読んで養蚕から材木商、飲食店へ転身
藤森商会の歴史は激動だ。明治時代の半ば、北海道への移住者が急増する中、同社の初代・藤森熊作さんもまた、長野県から入植した。家業は養蚕業だが、北海道開拓で建設ラッシュになると時流を読んで、木材商として起業する。だが、入植した1899年の翌年、十勝川の歴史的な大氾濫に巻き込まれ、材木も資産も喪失。やむなく養蚕業で難をしのぎつつ、1905年、帯広駅開業を機に駅待合所の経営許可を申請して、翌年、定食屋を開業した。14年には駅前に2階建て店舗を構え、30年には二代目の茂登恵さんが店名を「藤森待合所」から「藤森食堂」に改め、プロの料理人を雇って本格的なレストラン経営に乗り出す。
だが、天災の次は戦災だ。45年の北海道空襲で帯広市は甚大な被害を受け、店はいったん廃業となる。終戦後の農地改革や預金封鎖で全てを失う中、食堂再建を果たした。
「帯広駅近くのレストラン『ふじもり』が、その再建の地です」
そう説明するのは、五代目で代表取締役社長の藤森康容さんだ。
「三代目の祖父・照雄の時代、チェーン店やフランチャイズ店が席巻し、外食産業が大きく変わりました。祖父は専門店に商機ありと捉え、法人化とともに店で人気のあったカレーに着目。68年にインデアン1号店を開きました」
外食そのものがまだ珍しい時代、経営は苦戦が続いた。だが、鍋を持参した人にカレールーの量り売りをするという施策が功を奏し、客足を伸ばす。テイクアウトの走りともいえるこのサービスは、今も売り上げの約4割を占める。
「でも、私が子どもの時によく行っていたのはインデアンではなくふじもりの方で、家業はご飯屋さんだと思っていました。親から言われたことはありませんが、継いでほしそうな空気を感じながら育ちました」と笑う。
飲食業界の川上から川下まで経験して入社
高校生の時には、家業を継ぐ気でいたという藤森さん。だが、すぐには入社せず、東京の大学卒業後に大手食品商社に就職し、大阪支社で5年間営業職に就いた。その後、東京の和食店で3年間修業を重ね、調理師免許も取得。19年、30歳で満を持して家業に入った。工場でのカレーづくりから始めたが、翌年にはコロナ禍となってしまう。それでも藤森さんの顔は曇らない。
「工場勤務1年の予定が2、3年と延びてしまいました。しかし、その間は長時間労働と低賃金が業界の課題であると捉え、数字が読める経営者になるべく財務関係の勉強に時間をかけられました」
そして、その手腕は突然試される。四代目の父・裕康さんが21年12月、突如、脳梗塞で倒れてしまったのだ。
「カレーの要であるスパイスの調合は一子相伝です。祖父から父、そして私に引き継がれていたので、現場を止めずに済みました」
