地元海産物を扱う問屋を開業
香川県の西端にある観音寺市で、藤田商店はサービスステーション事業や太陽光発電の販売・施工・保守管理など、エネルギー関連事業を主に行っている。創業は明治16(1883)年で、初代音吉が海産物問屋を始めた。 「藤田家の歴史を改めて調べると、音吉の前に藤田熊蔵という人がいて、家が断絶しそうになっていたところを助けたのが鈴木家長男の音吉だったという記録が見つかりました。観音寺は、昔から海産物がよく獲(と)れたそうです。それで音吉も海産物問屋を始めたようです」と、同社の先代・五代目社長で、今は相談役を務める藤田尚靖さんは言う。
初代音吉は海産物問屋を営みながら、地元の信用組合の設立に参画し、別の会社に出資したり監査役を務めたりするなど、地域の名士としてさまざまな会社の経営に関わっていた。また、娘婿の恵次さんは大正10(1921)年に分家して食料品店を開業し、その後も店を発展させている。
一方で本家は、初代音吉が15(1926)年に亡くなると、三男の親太郎が後を継いで二代目音吉を襲名し、昭和11年には茶屋商店という屋号で食料油も取り扱うようになっていた。 「そこから灯油などの燃料油を扱うようになったのは、二代目音吉の長男の守男が三代目を継いでからです。27年に店を株式会社藤田商店に改組し、近隣の製紙工場などに燃料を納めるようになりました。また、家庭用の燃料が炭からLPガスに変わっていき、そちらの販売も始めました」
自分の目の届く範囲で経営
そして、世の中のモータリゼーションが進んでいく中で、33年に観音寺市内でサービスステーション1号店をオープン。その後、徐々に10店舗ほどにまで増やしていった。 「会社として成長していきましたが、三代目は規模よりも堅実性や収益性を重視していました。目が届く範囲で経営をしたいという思いだったのだと感じています。実際、地元出身の政治家・大平正芳さんが通商産業大臣のときに三代目のところに来て、『これからはトラック輸送が伸びていくから、トラックステーションを建てないか』と依頼されたのにもかかわらず、それをお断りしたほどです。今でもその教えを守り、サービスステーションの場所は時代に合わせて変えつつも、10店舗という数は変えていません」
会社経営においては誠実さも重んじており、50年前後のオイルショックの際、不足する油を高く販売した企業がある中、三代目は利益よりも供給を最優先し、できるだけ安く販売する努力をしている。また利益が増えたときは社員に還元し、自身は質素な生活を心掛けていた。その意識は今も創業家に受け継がれている。
前社長だった尚靖さんは三代目の弟の息子で分家に当たるが、四代目社長の耕平さんが急に亡くなったことで、平成19年に急きょ社長に就任した。 「本家の後継ぎがまだ若かったので私にお声が掛かりました。私はそれまで石油部門しか見ておらず、全体を把握していなかったので、社長に就任すると、各部門の方々に『私を助けてほしい』とお願いしました。私が引き継いだときより会社を大きくして本家に返さないといけないという思いでした」
燃料関連事業に集中していく
尚靖さんは社長に就任した3年後、隣の丸亀市に自社ブランドのサービスステーション「ハローズ中府SS」をオープンした。これはショッピングモールの敷地内に併設したもので、その後の3年間で3店舗にまで増やした。また29年からはコンビニ併設タイプのサービスステーションも2軒オープンしている。 「とはいえ、過去には失敗もしています。三代目のときはステーキハウスを併設したスタンドが5年ぐらいでダメになり、四代目のときはケーキのフランチャイズ店が10年で終わりました。私の代でも3年で芽が出なかったらやめようと思って始めた食品の宅配がうまくいきませんでした。燃料という腐らないものを扱ってきた私たちにとって、賞味期限のある食品は難しかった。コンビニはなんとかうまくいっていますが、やはり私たちは燃料に関連した事業を広げていくべきだと考えています」
そして4年前に尚靖さんは社長の座を譲り、本家の藤田陽裕さんが六代目社長に就任した。 「今の社長には、相談を受けない限り私からは何も言わないようにしています。社長が自分の思いどおりにやるのが一番ですから」
同社はこれからも、生活に必要なエネルギーの供給を通して地域に豊かな暮らしを提案していく。
プロフィール
社名 : 株式会社藤田商店(ふじたしょうてん)
所在地 : 香川県観音寺市坂本町5-4-5
電話 : 0875-25-4123
HP : https://fujita-group.xsrv.jp/
代表者 : 藤田陽裕 代表取締役
創業 : 明治16(1883)年
従業員 : 150人
【観音寺商工会議所】
※月刊石垣2024年12月号に掲載された記事です。
最新号を紙面で読める!