経済産業省が推進する「地域の人事部」は、地域の企業群が一体となって、自治体・金融機関・教育機関などの関係機関と連携し、将来の経営戦略実現を担う人材の確保(兼業・副業含む)や域内でのキャリアステップの構築などを行う総合的な取り組みだ。では、地域の中小企業は「地域の人事部」をどのように活用すればいいのか。その答えを探るべく、信州大学副学長の林靖人さんに話を聞いた。
林 靖人(はやし・やすと)
信州大学副学長 エンロールメント・マネジメント担当
地域の中小企業が陥る 悪循環を断ち切る仕組み
「地域の人事部」のイメージ(図1)を見ると、全国から人材が集まる首都圏(東京圏)のような大きな経済圏に対抗するため、地域が連携して人材を確保する“1対多”の取り組みとも解釈できる。だが、信州大学副学長の林靖人さんは、「地域の人事部」は単純な人材サービスではないとし、首都圏という大きな経済圏があることも「悪いことではない」という解釈を示す。 「今、経済活動の中心である首都圏がなくなれば、国としての活力も創造の場もなくなってしまいます。首都圏を悪とするのは、大きな誤解です。良い人材ほど刺激を求め、やる気のある人材ほどもっと挑戦したいと考えるから、刺激も挑戦の場もある首都圏に人が集まるのは当たり前。地域が問題とすべきは、地域の中小企業に悪循環が起こっていることです」
地域の中小企業の一番の悩みは、良い人材が確保しにくい、確保できても定着しないということ。そのため、良い人材が抜けてしまうと補充ができず、大体の場合、企業の「力」も弱くなってしまう。 「力が弱くなると、例えば会社の魅力がなくなったり、求心力がなくなったりする。社長の右腕がいなくなった場合は、経営がガタガタになるという悪循環が起こります。そんな悪循環を断ち切るためには、中核となる人材が抜けない仕組み、抜けても補充ができる仕組みをつくらなければいけない。
もっと言えば、地域から人材を外部に出さないことを目指すのではなく、首都圏に行った人材を地域に循環させる仕組みをつくればいいということ。『地域の人事部』の重要なミッションは、この仕組みをつくることです」
「地域の人事部」に先立つ信州大の挑戦
仕組みには前提がある。地域に行ってチャレンジしたくなる強い魅力(=動機づけ)と、仕事や収入、生活などのトータルサポート(=リスクマネジメント)の用意がないと、「人の移動はほぼ間違いなく起きない」ということだ。逆に言えば、動機づけとリスクマネジメントができていれば、「実証実験によって地域に移住する流れが起きることを確認している」と林さんは断言する。
その言葉に重みがあるのは、信州大学では、2018年から信州大学発ベンチャーのNPO法人SCOP(スコップ)、株式会社日本人材機構(当時)の3者でコンソーシアムを組み「信州100年企業創出プログラム」(図2)をスタートさせ、成果を上げているからだ。このモデルは、「地域の人事部」を有効に機能させるヒントになる。
プログラムの概要は、都市圏の中核人材に信州大学のリサーチ・フェロー(客員研究員)になってもらい、長野県内の中小企業とマッチングさせて課題解決の任に当たり、地域・企業との関係性構築(雇用や事業連携など)を進めるもの。リサーチ・フェローは6カ月の間、受け入れ企業から活動費を受けて、週4日は企業で業務を行いながら課題分析や未来構想を研究する。週1日は大学のゼミに参加して、大学教員のレクチャーや研究員同士のディスカッションで企業課題解決の方法を探り、地域や企業の成長シナリオを作成する。実践型リカレント学習(循環・成長学習)だ。こうして6カ月間活動したリサーチ・フェローの地域企業への継続率(正社員雇用、業務委託、アドバイザー契約など)は、毎年80~90%に達しているという。
同プログラムは、「信州に魅力ある企業をつくろう」という目標を掲げてスタートした。そして林さんは、タイトルの「100年企業」に二つの意味を持たせた。 「長野県にも100年の歴史を誇る企業はたくさんありますが、どの企業も人口増加を前提とした社会システムの中で成長してきました。当然、誰も今のような人口減少が続く社会は経験しておらず、スタートラインは老舗企業でも新興企業でも同じになりました。そこで首都圏の人材に、『大学の研究員になり、地域企業のこれからの100年をつくってみないか』という挑戦的な投げかけをしたのです」
このコンセプトに賛同できる人を集めるため、県の協力を仰ぎ、金融機関や地元企業の協力を得た。首都圏にある複数の大手の人材マッチング会社もコンセプトに賛同して募集に協力した。その結果、毎年100人程度の応募があり、23年度第6期は5人がリサーチ・フェローに選ばれた。求めているのは人数ではなく一騎当千、一人で1000人分の力が発揮できる人材だ。
連携人口ではなく連繋人口という考え方
「信州100年企業創出プログラム」と「地域の人事部」とはどこが違うのか。林さんによると、「地域の人事部」はマッチングというよりも、人材に企業に入ってもらい、企業風土の改革や人材の自己実現を目指すことがメインになるという。
一般に自治体は、定住人口を指標にして人材を呼び込む。しかし、林さんは定住にこだわらず、地域を発展させたいという強い志を持つ優秀な人材が地域と“繋”がる「連繋人口」を増やすことを考えている。優秀な人材の居住地域は、首都圏であろうと、世界のどこかであろうと構わない。
一般的な「連携人口」ではなく、「連繋人口」という用語を積極的に用いているのが長野県塩尻市(34ページ参照)だと林さんは言う。 「『しおじり未来投資戦略(第六次塩尻市総合計画)』の中で、連繋人口を使っています。総合計画(市政運営の基本となる計画)にこの言葉を使った初めての例ではないでしょうか」。「しおじり未来投資戦略」から一部を抜粋すると、「塩尻に来たい、住みたい、応援したい、挑戦したいという人々(関係人口)を国内・世界で増加させ、その人々(連繋人口)とさらに新たな挑戦を展開する好循環をつくり」と書かれている。関係人口とは、特定の地域に継続的に多様な形で関わる人のこと。やる気のある人材が集まりたくなるような魅力ある場所をつくることが、自治体には求められる。
「地域の人事部」は製造業を中心に多業種を支援している(図3)が、支援される側の企業の姿勢も問われている。人事部というセクションを持つ余裕のない中小企業は少なくない(図4)ため、「地域の人事部」に人事機能を託すことはいいが、「その時に受け身ではなく、『こんなことしたいから、こんな人材が欲しい』という未来を向いている会社が関わるべき。受け身の企業の集まりになってしまうと、みんなで沈んでいくことになる。その意味では、経営者の意識改革も地域の人事部の役割としてあると思います」(林さん)
受け入れたい人物像を明確に 世界モデルを目指せ
塩尻市の「地域の人事部」が機能している大きな理由は、どのような人を受け入れて、受け入れた人にどう活躍してもらうかがはっきりしていることだ。
中小企業は、経営者の意識が変われば劇的に変わる可能性がある、と林さんは力説する。 「変わるためには少しだけ精神的な苦痛が伴いますが、変わることができれば、その先には明るい未来が待っています。そして『地域の人事部』という日本モデルを確立して、少子化・高齢化に直面している先進国が採用したくなる世界モデルを完成させれば、日本は成長を約束されたとても面白い国になる」
それほどの可能性を「地域の人事部」は秘めている。