冠婚葬祭で用いる袱紗(ふくさ)の生産量・販売量ともに国内トップクラスのシェアを誇る「清原」。三代目代表取締役の清原大晶(ひろあき)さんは、袱紗の製造加工の技術力を生かしながら、新規事業を拡大させ、自社ブランド「和奏(わかな)」を立ち上げた。市民グループや産学官と連携し、〝オール滋賀〟で地域経済の循環を図る。
国内の職人を守りつつ 堅実経営で業績を上げる
「ふくさめる」(柔らかいの意)を語源とし、奥ゆかしい日本文化を象徴する袱紗。清原は、その製造・販売で、国内シェアの35〜40%を占める。創業は1968年。滋賀県守山市で57年の歴史を刻む。 「祖父の三郎が起業し、私で三代目になります。祖父は、守山市で室町時代から続く、滋賀県唯一の手織りの『つづれ織』の織元・清原織物の三男坊。家業は、長男が継ぐのが一般的な時代ですから、祖父は大手風呂敷メーカーの宮井に入り、その後、風呂敷の製造加工を手掛ける『清原商店』を独立開業したのが始まりです」
そう説明するのは現・代表取締役の清原大晶さん。創業時は風呂敷は日用品であり、競合企業も多かった。そこで、風呂敷の技術を応用できる袱紗に特化し、百貨店とのパイプを太くしていったという。 「ニッチな袱紗にかじを切った祖父は、先見の明があったといえます。そして、二代目の父が早い段階から開発していた企画提案型商品に注力し、受注と企画開発の両軸で、経営を盤石にしていきました」
大手繊維メーカーが、生地調達や縫製工場を海外へ移しても、清原は国内の職人気質なモノづくりと、堅実経営で信頼と実績を築き上げた。
だが、清原さんは家業を意識することなく育ったと笑う。大学卒業後、就職氷河期といわれる中でも、他社へ就職を決めた。 「自己資本比率が高い会社は、社員を大切にしている。そう父から教えられ、選んだのが日清紡です。東京本社で人事を担当しました。約4年半在籍し、後半はドイツの自動車部品メーカーとの合弁会社と兼務したことで、外国人が上司という外資系企業のような職場で働くなど、人との関わり方を幅広く経験しました」
地元の強みを生かして 自社ブランドを設立
そして、転勤話が持ち上がる時期に、先代から「新しい挑戦を模索している」と聞かされる。転勤か転職かを考えた末、清原さんは2003年、後者を選んで家業に入った。 「一社員として入社し、生地の裁断から商品の梱包(こんぽう)や納品管理、配達までひと通りやりました。同時に父に同行して、取引先との商談や打ち合わせにも参加。前職とは違うことばかりでしたが、人事部で培った経験を生かして柔軟に対応していきました」