上品な香りとまろやかな甘み、そして澄んだ水色(すいしょく)。緑茶の三大要素のバランスが良い霧島茶は、有機JAS認証茶園面積で日本一を誇る。その草分けで、100年以上の歴史を持つ霧島製茶を、2017年、創業家の長男・林修太郎さんが継いだ。先代の有機栽培農法を受け継ぎ、販路の拡大戦略に乗り出す。
静岡の茶業に刺激を受け タバコから緑茶にシフト
天孫降臨の地として、神話や伝説に彩られた鹿児島県霧島市。高千穂峰(たかちほのみね)をはじめとする霧島連山が生み出す朝晩の寒暖差は大きく、地名通り霧が深い。そうした気候は、お茶の栽培に適しており、日本茶の三大産地である鹿児島県のブランド茶としても霧島茶は評価が高い。過去10年間に全国茶品評会で7回産地賞を受賞し、有機JAS認証茶園の面積は日本一だ。そして、その発展に霧島製茶も寄与してきた。現代表取締役社長の林修太郎さんは言う。 「設立は1953年ですが、創業は1900年頃。初代の林嘉助はタバコ栽培を中心に、しょうゆやみそなどさまざまな嗜好(しこう)品、食料品の製造販売を手掛けていたようです。ある時、東京にタバコを出荷する際に静岡県の茶畑に触発され、茶業を始めたと聞いています」
同社のある国分地域は、タバコの産地として知られた。その環境下で、初代は静岡から緑茶の種を持ち帰り、手揉(も)み製茶の技術者を招いて茶畑を開いた。 「二代目の時に茶畑は2〜3haになり、当時の一農家の茶畑としては、日本最大級の広さにまでなりました。それを三代目がさらに6haに広げて機械化し、四代目である父が、防霜(ぼうそう)設備導入など機械化を促進して収益の安定化を図りました」
さらに四代目は90年代、周囲に先んじて有機栽培に切り替えた。 「品質や収量が安定せず、当時、有機栽培茶はあまり評価されていませんでした。しかし、それでも父は農薬や化学肥料を使わない農法を貫きました」
林さんの子ども時代は、まだタバコ畑が広がっていたそうだが、林さんもまた、先代と同じ道を選んだ。
ネットのQ&Aをヒントに 海外販売に踏み切る
幼少時より、漠然と家を継ぐことを意識していたという林さん。大学は農学部茶業科に進んだ。 「卒業後は社会勉強を兼ねて、多角経営している親戚企業のガソリンスタンドで約3年の期限付きで働きました。アルバイトではなく正社員雇用で、厳しい営業ノルマがあったことで、社会人としての自覚が芽生え、いい意味で精神的に鍛えられました」
2007年に家業に入ったが、当時日本茶の国内市場は冷え込んでおり、同社の経営は厳しい状況だったという。その状況を案じて、前述の親戚企業の社長が助言してくれたのが新規顧客の獲得だ。さらに、林さんと同世代で、司会業で顔が広い青年を紹介してくれ、共に営業に回った。 「それでも成果が出ず、困り果ててネットのQ&Aサービス『ヤフー知恵袋』に質問を投稿したのです。すると、コーヒー業界と思われる人から『有機栽培茶なら海外に需要があるのでは』という回答があって、それを機に海外を意識するようになりました」