今から10年前、インドのタタ・モーターズが発表した「ナノ」という小型車のことを読者の皆さんは覚えているだろうか?
10万ルピー(当時の為替レートで約25万円)という四輪車としては世界最安値の車だ。「そんな低価格の車は実現不可能」という声が世界の自動車メーカーの共通認識だったが、タタはそれを実現し、2009年に「10万ルピー」をやや上回る11万2700ルピーで発売した。四輪車としては最小サイズのタイヤを履き、623㏄の2気筒エンジン。助手席のドアミラーはなく、ワイパーも1本のみで、ボンネットを開けて燃料タンクに直接給油するといった簡素化でコストを抑えた。それでも最高時速105㎞で、大人4人が乗車できた。
もともとタタのラタン・タタ会長が、インドの家族連れが二輪車に3~4人乗りする姿を見て、中流層でも購入できる四輪車として構想した。インド市場の状況、インドの中流層の購買力を見て価格を設定したものだった。当初は数カ月の納車待ちも出るなどの人気を集め、11年度には7万4500台まで販売を伸ばした。しかし昨年の販売は1851台にまで落ち込み、ついに今年6月は生産が1台となった。タタは間もなく「ナノ」の生産を打ち切る方針といわれている。
インドの自動車販売そのものは絶好調だ。昨年は前年比10%増の401万台に達し、ドイツを抜いて世界第4位の市場に浮上、今年6月は前年同月比39%増の35万台に急増した。売れ筋は中国などと変わらない200万円を超えるSUV(スポーツ向け多目的車)。インドの実情に合わせたはずの「ナノ」の時代は10年足らずで終わったわけだ。考えてみればインドの一人あたりGDPは08年の1048ドルから17年には1980ドルになり、今年は間違いなく2000ドルを突破する。こうした経済水準の向上がインドの自動車市場を地元企業のタタすら予想できないスピードで変化させたのだ。
インドではSUVを欲しがるアッパーミドルの収入が増え、人口的にも厚みが増した。もちろんかつてインド市場攻略の要諦として語られたBOP(Bottom of Pyramid)、すなわち低所得層向けのビジネスの規模は大きいが、そこでも購買力が底上げされ、購入する商品のレベルが上がっているはずだ。インド市場戦略のギアをシフトするタイミングが来たことを「ナノ」の生産打ち切りが示している。
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