瓦一筋130余年。原田瓦工業は一般住宅を中心に、宿泊施設や商業施設、神社仏閣などの屋根瓦の設計施工・販売を手掛けている。五代目として家業を継いだのは、幼少時より家業に興味を持っていた次男の原田誠さん。瓦のリサイクル事業にも取り組みつつ、瓦を活用した地域活性化の道を探る。
創業からの窯の火を消す 四代目の一大決心
北前船の寄港地として栄えた山形県酒田市。「西の堺、東の酒田」といわれ、NHKの朝の連続テレビ小説『おしん』のロケ地として知られた国指定史跡の「山居倉庫」や、酒田の迎賓館として利用されてきた「本間美術館」など歴史的建造物も多く点在している。その酒田市で、原田瓦工業は1894年に創業し、130年以上屋根瓦製造をなりわいにしてきた。同市は日本海沿岸にあるため、塩害に強い瓦屋根が普及し、同社は手堅い事業展開をしてきた。
だが、昭和後期の四代目の時代で、潮目が大きく変わる。住宅ブームに乗って需要が伸びるかと思いきや、瓦の国内流通も活発化し、三州瓦や淡路瓦、石州瓦など県外から安価で良質な瓦が市内に流入してきたのだ。 「特に愛知県の三州瓦は、地元の庄内瓦に比べて薄く、狂いがなくて施工がしやすい。うちの経営は赤字が続いて、ついに先代の父が一大決心をしました。瓦製造からの撤退です」
そう語るのは、五代目で代表取締役の原田誠さんだ。創業から瓦を焼いてきた窯の火を落とす。この決断に、先々代が猛反対したが、元来、設計施工の技術力には定評がある。「陶芸用の窯は残す」と説得し、断行した。
大学卒業と同時に入社し〝現場〟で家業を体感
そうした同社の変革期に生まれ育った原田さんは、幼少時から家業に関心を持っていたという。 「『瓦屋さんになる』と幼稚園児の頃には言っていて、中学では大工、高校では建築士と、家業に通じる職業に憧れました」
高校卒業後は、秋田県立大学の経営システム工学科に進み、建築と経営を同時に学んだ。建築やインテリア関係の職に就こうと就職活動をする最中、父親から連絡が入った。 「『家を継ぐ気はあるか』と聞かれたので、『将来的にはある』と答えました。すると、覚えることが多いから、やる気があるなら今すぐ入らないか、というのです」
原田さんは3人きょうだいで、兄は弁護士、姉は看護師の道を進んでいた。 「その後、兄が顧問弁護士になってくれて助かっているものの、当時は、家業に関わるのは自分だけだと思い、即決しました」
2007年、大学卒業と同時に入社し、初めに事務を担当した。だが、現場に出て仕事を覚えたいと先代に頼み込んで、社長に就任するまでいちずに現場に携わった。 「もともとモノづくりが好きですし、お客さまや職人と直接やりとりできるのが楽しくて、やりがいを感じました」と積極的に現場に溶け込んだ。
同社は、現場を担う職人を大切にする社風で、原田さんの代も変わらない。それを裏付けるように、原田さんが入社してから約20年で退職したのはわずか3人。19年に社長に就任し、週1回だった休みを隔週2日、完全週休2日と段階的に増やすと「隔週休みがいい」と言ってくるほど従業員の士気は高い。