オーガニック素材にこだわって事業を展開してきた日の出毛織は、国産オーガニックコットン毛布の草分けだ。2017年、二代目が社長就任したが逝去し、廃業か否かを迫られる中、長女の藤原康穂さんが後を継いだ。先代が開発したオーガニックコットン製品を筆頭に、自社のリブランディングに奮闘している。
祖母が繰り返し話した効果か 葛藤少なく家業に就く
大阪府南部に位置する泉大津市。同市は、国産毛布の90%以上を生産する日本屈指の〝毛布のまち〟で、1968年創業の日の出毛織も、その一翼を担っている。 「祖母の実家である藤善織物の毛布事業を、婿養子の祖父がのれん分けする形で開業しました。父も婿養子ですが、専務として日の出を支え続けました。毛布は、ギフト商品の定番だった時代もありましたが、住環境の向上や、安価な海外製品の流入、後継者や技術者の減少などで、産業としては下火です。今では、地元でも毛布が特産であることを知らない人が増え、若い世代ほど顕著です」
そう語るのは、三代目で代表取締役の藤原康穂さんだ。毛布は買い替え需要が少なく、睡眠の質を高めるべく、目が向けられるのは、枕やマットレスがほとんど。毛布を問屋に卸すだけでは経営が先細ると、父・正輝さんは早くから新規事業や販路開拓に奔走していたという。事業の大変さからか、長女である藤原さんは、祖父からも父親からも家を継ぐことを強いられずに育った。 「あえて言えば、祖母が常日頃から『康穂は家を継ぐ子』と口にしていて、幼心に意味も分からず『そうなんや』と思っていました」と笑う。
だが、藤原さんはスポーツトレーナーになるという夢を抱いて大学に進学。在学中に家業を意識し始めるものの、「3年間は外で働きたい」と携帯電話事業会社に就職した。ショップ店員として働き、副店長への昇格の話が出たころ、父親から「そろそろ戻ってこないか」と水を向けられた。就職して2年も経っておらず、約束の3年にはまだ早い。 「話が違うなと思いつつ、前職の給料は良かったものの、ルーティン業務で自身の成長を感じられずにいた時期でした。父がそう言うならと、2009年4月末まで働き、5月1日に日の出に入りました。祖母の言葉の効力か、葛藤も覚悟もなく転職しました」
