弘前市は津軽十万石の城下町。1807(文化4)年、ロシアの南下行動に伴う幕府の命による北方警備のため、津軽藩士が蝦夷地(現北海道)の宗谷岬周辺に派兵されるも、多くが厳冬下において浮腫病という不治の病で命を落としました。その後、再び警備に赴きますが、その時に浮腫病の予防薬として配給されたのが珈琲でした。警備兵の中には農民などの庶民も含まれていたことから、長崎出島の蘭学者や特権階級を除くと日本の庶民で最初に珈琲を口にしたのは津軽藩士であったと。
この史実に基づく珈琲を再現した「藩士の珈琲」は、市内喫茶店などで味わうことができます。
弘前にお越しの折には、この珈琲とりんごの街のおいしいアップルパイをともに味わってください。なお、藩士たちが赴いた世界自然遺産知床の玄関口である斜里町では津軽藩士の殉難慰霊祭を毎年行っており、1983(昭和58)年に友好都市盟約を締結した後、交流が続いています。
弊社は1892(明治25)年に清藤造花店として創業。私が三代目となり1981(昭和56)年に「弘前公益社」として株式会社へ組織変更を行い、葬祭全般を扱う葬祭サービス業への転換を進めました。24時間体制の構築や葬祭ホールの整備、ビフォーアフターサービスなどを展開する中、時代はチェーン店化が進み、地元の小さな店が消えるなど厳しい状況となっています。
そこで重要になるのが社員の資質です。特にこの業界では仕事の場面だけでなく日常生活での評判も大きく影響します。嘘はつかない、約束は守る。信頼があればこそ大切な儀式について、あの人に相談してみたいということになるのです。お客さまの想いを何より大切にし、身内が亡くなった時どうしたいか、どうしてほしいかを考えなさいと、スタッフには毎日のように話をしています。
また、葬送サービス業は送る、弔うという日本の大切な文化を担っている崇高な職業であるとも。そして大事なことは弊社だけレベルが上がっても駄目ということ。津軽地方ひいては青森県全体の葬送サービス業者の質が上がり、青森にはきっちりした葬送文化が定着し、専門業者がそれを守り、継承することが私たちの責務であると考えております。
私は青年会議所、観光協会、商工会議所に育ててもらいました。少しでも恩返ししなければと、今後も地域経済の振興・発展のために邁進してまいります。
弘前さくらまつり HPはこちらhttps://www.hirosaki-kanoukai.jp/
日本一のりんごの街のアップルパイの詳細はこちらhttps://www.hirosaki-kanko.or.jp/mediafile/pdf/CNT00405251319524330_1_pdf.pdf
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