石和名湯館 糸柳
山梨県笛吹市
地元客の声が宿の屋号に
山梨県の中央部を通る甲州街道沿いの宿場町として栄えた石和の地に、来年で創業140周年を迎える石和名湯館糸柳はある。明治12(1879)年に、初代となる内藤仁甫(じんすけ)が料理屋と宿屋を兼ねた旅籠(はたご)「槌屋(つちや)」を開いたのが始まりだ。開業からしばらくは、地元客の宴会や、新潟・富山から来た薬売りの宿泊客が多かったという。「初代がそれ以前に何をしていたのかは分からないのですが、内藤という姓は山梨県には多く、祖先の墓が今の南アルプス市にあると聞いています」と五代目の内藤修也さんは言う。
その後、明治時代後期に石和に中央本線の駅が開業すると、昭和時代初期に駅から近い今の場所に移転した。「私の祖父で三代目の猪作(いさく)が、駅に近いほうがお客さまが来やすいだろうからと移転しました。建物の横を流れる川の土手にしだれ柳が植えられていて、いつの頃からか地元のお客さまがうちにいらっしゃる際に『糸に行こう』と言うようになり、それで屋号を『糸柳』としたようです」
当時は宿屋よりも料理屋としての利用が多く、地元の人たちの宴会が数多く開かれていたと修也さんは言う。「このあたりにはほかにちゃんとした料理を出すところが少なかったようで、昔は毎日のように宴会があり、年間100組ほどの結婚式も開かれていたそうです。朝から晩までとてつもなく忙しかったと聞いています」
そこまで繁盛していた糸柳だったが、戦時中は東京の船会社に部屋が貸し出され、重役の家族などが疎開して住んでいたという。
料亭中心から宿中心に転換
そして昭和36(1961)年、石和に温泉が湧き出し、石和温泉として知られるようになると、中央本線や中央自動車道など東京からのアクセスもいいことから、周囲に次々と旅館ができ、石和は一大温泉地として発展していった。
「温泉が湧いたのと同時にうちも敷地内で温泉を掘り、自噴泉を流出させて大浴場もつくりました。しかしうちは老舗ということもあり、逆に温泉街の発展に乗り遅れた感がありました。新しくできた旅館は旅行業者との付き合いもできていて、団体のお客さまを数多く呼び込んでいましたが、うちはまだ料亭に付随して宿屋をやっている形でしたから、一時期は経営が苦しかったようです」
そこで、修也さんの父で四代目の謙一さんは、料亭中心から宿中心の経営に切り替え、営業力を強化するために会社の運営体制も変えていった。泊まり客が増えていくと、古い建物は残して建て増しで部屋を増やして対応していった。
修也さんが東京のホテルでの修業を終えて糸柳に戻ってきたのは26歳のとき。年号が昭和から平成に変わる境目のころだった。
「戻ってきてすぐ、ほぼ100%私が中心になって運営していくようになりました。しかし、借金もかなり残っていて、私もまだ経営について詳しくなかったので、コンサルティングという形で出会った経営の先生について一から勉強していきました」
取り組むべき課題は多い
「以前は年間100組もの結婚式があったのに、大幅に減っていた。そこで、宿の勢いを取り戻す意味もあり、まず結婚式を増やすことに力を入れていくことにしました」
結婚式の打ち合わせでは、新郎新婦だけではなくその両親とも信頼関係を築くために、その家を訪ねて打ち合わせをしたり、招待状づくりや席次表づくり、そして司会進行まで請け負ったりした。結婚式当日は、新郎新婦、親族、招待客の全てに、期待以上の対応をするように心掛けたという。
「今では当たり前の方法ですが、当時はまだ専門の結婚式場がない時代だったので、いろいろ勉強しながら実践していきました。その努力が実って、一時は年間50組くらいまでに戻すことができました」
将来は修也さんの長男が後を継ぐ予定で、今は外に出て修業をしている。「息子には財務が分かるようになってもらいたい。私が苦労した部分ですから。さらに今は時代の進みが速く、SNSやインバウンドなど、取り組んでいかなければならないことがたくさんある。それがこれからの課題です」
そして、旅館として守るべきことと変えていくべきことについてこう語る。
「旅館の本質はお客さまの命を守ること。その本質は守りながらも、お客さまに満足を与えるために、時代に合わせて変えていかなければなりませんし、うちもいろいろなことを変えてきました。そして、これからもどんどん変えていく。それは大事にしていきたい」
石和温泉の歴史はまだ浅いが、糸柳は140年続く老舗として、この地でもてなしを続けていく。
プロフィール
社名:石和名湯館 糸柳
所在地:山梨県笛吹市石和町駅前13-8
電話:055-262-3141
HP:http://www.itoyanagi.co.jp/
代表者:内藤修也 代表取締役社長
創業:明治12(1879)年
従業員:60人
※月刊石垣2018年11月号に掲載された記事です。
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