日商 Assist Biz

更新

100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 百年続けてきた虎斑竹の歴史を これからの百年につないでいきたい

竹虎

高知県須崎市

世界的な植物学者である牧野富太郎博士が大正5年に「土佐虎斑竹」と命名した

里から出た竹は全部買い取る

山地が多く、県総面積のうち森林が占める割合は全国一の約84%という高知県。海と山に囲まれた須崎市安和(あわ)に竹材専業メーカーの竹虎(たけとら)はある。初代・山岸宇三郎氏が明治27(1894)年、大阪市天王寺区で竹材商として創業したのが始まりである。竹製品をつくる業者や職人に竹材を卸す商売を営んでいた。

「初代が良質の竹材を探して全国各地の竹の産地を巡っていた際、ここ安和で出合ったのが虎斑竹(とらふだけ)でした。初代はこの虎斑竹に惚れ込み、何度もここに足を運びました」と四代目の山岸義浩さんは言う。虎斑竹は表面にきれいな虎模様が出る竹で、全国でも安和のわずか直径1・5㎞圏内にある特定の竹林でしか生育しない。ほかの地に移植を試みても、なぜか虎模様が出てこない普通の竹になってしまうのだという。

「虎斑竹は江戸時代、土佐藩への年貢として納められていましたが、藩令で禁制品と定められていたため藩外に出されることがなく、全国的には知られていませんでした。昔は木材として需要のある杉やヒノキを山に植えるのが普通でしたが、初代は安和の山主に虎斑竹の生産を続けるよう頼み込みました。里から出た竹は全てうちが買い取るからと。それから百年がたった今でもその伝統は続けています」

初代はその後、足しげく通った安和の山主の娘と結婚。大正4年、神戸の工場でも輸出用竹材の製造を始めた。

会社の火事で固くした決意

第二次世界大戦の空襲で天王寺と神戸の工場が焼け、戦地から復員してきた二代目の義治氏は安和に会社を移すことを決心。そこは、初代の妻の実家もあり、家族が疎開していた場所でもあった。そして、虎斑竹の仕入先もあった。

「屋号を創業時の『竹亀』から『竹虎』に変え、祖父母は盆暮れ正月もなく働きました。今と違って閉鎖的な地域でしたから、よそ者への風当たりも強く、苦労したそうです」と義浩さん。この話を聞いていたからこそ、会社が倒産しかけたとき、初代や二代目が築き上げた竹虎をつぶしてはいけないと踏ん張れたのだという。

その後、二代目は竹材の卸だけでなく竹製品の製造も始め、縁台や庭園用品、生活用品などを販売していった。生産すればするだけ売れ、昭和50年には虎斑竹の年間取扱数は8万束、社員数も66人にまで増えていった。

ところが59年、火事が発生し、会社が全焼。大学4年生だった義浩さんはその日たまたま帰省しており、火事の第一発見者となった。「燃えさかる工場の前で泣き崩れている母の肩を抱いたとき、あんなに大きくて強いと思っていた母の体が軽かった。オレがなんとかしなければと思い、その場で母に『オレが会社を立て直すから任しとけ』と言ったんです。小さいころから自分が後を継ぐものとは思っていましたが、このときが本当の意味で後を継ぐ決意をしたときでした」と義浩さんは振り返る。翌年、大学を卒業すると竹虎に入社。四代目の道を歩み始めた。

つくる人の思いを伝える

そのころすでに安い輸入品が出回るようになっていたことに加え、日本人の生活スタイルが変化したことで竹製品の需要も減り、売り上げが落ちていた。「展示会に出したり、ホテルやデパートに商品を置いたり、通販もやりましたが全部ダメ。売り上げは以前の3分の1にまで減りました」という義浩さんが、最後の手段として平成9年に始めたのが、パソコン1台でできるネットショップだった。

「でもアクセスはほとんどなく、売り上げは3年間でたった300円でした。12年になっていよいよ倒産かなというとき、eコマースの勉強会に参加する機会があり、そこで目からウロコが落ちました」

義浩さんは自分でネットショッピングをしたことがなく、買う人の気持ちを分かっていないことに気が付いた。そこで、実際にほかのネットショップで買い物をし、サイトの内容を研究、13年5月に自社サイトを一新した。すると、その月の売り上げは16万円にも跳ね上がった。その後も自社サイトの改良を続け、今では売り上げの7割をネット販売が占めている。

「ネットショップで重要なのは、商品の紹介ではなく、誰がどんな思いでつくっているのかという商品の背景を伝えることです。販売の方法や商品は昔と変わりましたが、変えてはいけないのは『竹』という背骨。代々百年続けてきた竹虎の歴史をこれからの百年につないでいけるようにしたいというのが、私の一番の思いです」

竹離れが進む日本で、土佐の山と太平洋の潮風に育まれた日本唯一の虎斑竹の魅力をもっと知ってもらいたい--。義浩さんは今日もその思いを発信し続ける。

プロフィール

社名:株式会社山岸竹材店

所在地:高知県須崎市安和913-1

電話:0889-42-3201

HP:https://www.taketora.co.jp/

代表者:代表取締役社長 山岸義浩

創業:明治27(1984)年

従業員:20名

※月刊石垣2017年1月号に掲載された記事です。

次の記事

株式会社中屋本店

埼玉県南部にあり、東京のベッドタウンとして開発が進んだ所沢市。江戸時代には江戸街道や秩父道など大きな道が集まり、物資の集積地として繁栄していた。米穀の卸・小売りなど…

前の記事

有限会社野村甘露煮店

関東地方を北西から東に流れる利根川と、その支流の渡良瀬川が交わる古河(こが)市。この地で野村甘露煮店は名物の鮒(ふな)甘露煮を代々つくり続けている。古河は、江戸時代には…

関連記事

株式会社小島鐵工所

群馬県高崎市で大型油圧プレス機を製造している小島鐵工所は、江戸時代後期の文化6(1809)年に、小林善兵衛が鋳物師(いもじ)の権利を小島家より譲り受け、鍋屋の屋号で鋳物屋…

有限会社玉那覇味噌醤油

首里城の城下、かつては琉球王朝の士族の住まいが並んでいた地域で、玉那覇(たまなは)味噌醤油は沖縄に最後まで残った老舗の醸造所として、伝統的な天然醸造でみそをつくり続け…

株式会社輪島屋善仁

能登半島の北部にあり、江戸時代に北前船の寄港地として栄えた輪島市は、輪島塗の産地として知られている。その地で輪島屋善仁は、文化10(1813)年に善仁屋善七郎として創業し…