津市は、三重県中央部に位置する人口約28万の県庁所在地です。古くは安濃津(あのうつ)と呼ばれ、港町として繁栄してきました。江戸時代には、津藩初代藩主、藤堂高虎が城や街道の整備を行い、城下町として、また伊勢参宮の宿場町として発展しました。周囲は、東に伊勢湾、西に布引山地(あのびきさんち)と自然に恵まれ、豊かな食文化も魅力です。特に市内には鰻(うなぎ)屋さんがとても多く、津の名物の一つとなっています。
当社は、昭和19年に三重県下の陸上交通事業者7社が合併し、三重交通として発足したことに始まります。その後、運輸業を中心に不動産業、流通業、レジャー・サービス業と事業を拡大。平成18年に現在の体制に移行しました。グループ会社の多くは三重、愛知、岐阜の中部地区を主な事業エリアとし、地域社会とともに成長をしてきました。
私は、この津市の西隣にある三重県伊賀市で生まれ育ち、昭和45年に近畿日本鉄道に入社。その後、縁あって平成22年に当社に参りました。
振り返ると、私のサラリーマン生活にはいくつかのポイントがあったように思います。最初のポイントは会社に入って4年目の助役の経験です。全く知識も経験もなく大変苦労をしましたが、多くの方に助けて頂き、人間関係を学ぶ良い機会になりました。また、何といってもいわゆる現場を知るということから、ここでの経験は社会人としての基盤になりました。
2番目は、入社10年目に賃金を担当したときです。春闘での中央集団交渉など仕事がとても忙しく家に帰れず、机の上で寝たということも何度かありました。また、このときの労働組合の委員長からは、上司からは教えてもらえないことを学びました。
そして、3番目。それは、社長の秘書課長を7年務めたときです。謦咳(けいがい)に接するというのか、当時の社長から文章の書き方から経営者としての在り方まで、さまざまなことを学びました。
最後は、役員になって不動産開発を担当するようになったとき。さまざまなプロジェクトに関わりましたが、そのうちの一つにあべのハルカスがありました。ある方から「ハルカスだけが孤立したら絶対ダメだ」と言われました。「商店街の方々に支えてもらってハルカスがあるという意識を大切にしなければならない」と。共存共栄を心掛け、その精神は今でもずっと後輩達が守り続けてくれています。 これらの経験は、商工会議所会頭という職務に通ずるところがあります。平成18年に10の市町村が一緒になって大きく生まれ変わったこの津市でも中心市街地の活性化が課題となっています。これは周辺地域も一緒になって「地域全体で」という視点が大事で、商工会議所はその接着剤的な役割を果たすべきではないかと思っています。
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