事例1 日頃のコミュニケーションを通じて社員から後継者を見つける
中農製作所(大阪府東大阪市)
東大阪市で機械部品を製造している中農製作所は、スムーズな事業承継に必要な事項である「誰が」「何を」「いつ」の策定に早くから準備を始め、2年前、従業員が社長の座を受け継いだ。先代社長はどのようにして後継者を決め、何を行っていったのだろうか。
5年かけて次の社長を決める
先代の社長であり、現在は中農製作所の代表取締役会長を務める中農康久さんが事業承継を考え始めたのは、今から17年前、自身が50歳になったときのことだという。
「これまでも節目の年に、これから会社をどうやっていこうかと考えていました。そして50歳のときに、これから5年かけて55歳までに次の社長を決めようと考えたのです。就業規則で当社役員の定年を65歳としています。事業承継の準備期間には最低でも10年は必要だろうから、逆算すると私が55歳になるまでには次の社長を決めておく必要があったのです」と中農さんは言う。ではなぜ10年かかると思ったのか。そこには、自身が社長の座を受け継いだときの苦い経験があったという。
「この会社は私の父が昭和24年にミシン部品の製造工場として創業しました。私は2代目に当たります。入社して約20年後の42歳のときに社長に就任しましたが、当時は〝俺の背中を見て育て〟という時代で、父から何かを教わることもなく、当時の私は社長として何のビジョンも持っていませんでした。だから苦労も多かったのです。私と同じ轍を踏ませる訳にいかない、次の社長にはそんな状態で就任してもらっては困るという思いが、自分の中に悔しさも含めてありました。そこで、私が65歳になるまでに後継者に自分の思いはすべて伝え、あとは見守りながらパラレルで一緒にやっていこうと決めていました」
当時は中農さんの長男がすでに社員として入社しており、最有力候補は長男だったが、それに限らず、他にも社内に社長の座を継ぐのにふさわしい人材はいないか、時間をかけて探していったという。
「後継者として最適な選択肢が息子ならそれは大いに喜ぶべきことですが、世襲に縛られるべきではないとも思っていましたから」
攻めと守りを分ける
そこで目についたのが、高卒で入社してから数年が経っていた西島大輔さんだった。「後継者を探していく中で重視したのは三つ。性格が明るいこと、人が好きだということ、そして仕事の上での切れ味があること。その観点で社内を見ているうちに目についたのが西島でした。当時の彼は営業部長や工場長をやっており、私との会話も多い。日頃のコミュニケーションでいつでも試せたわけです。何か課題があったときに〝西島部長、君ならどう解決する?〟という形でいつもやり取りしていました。そういった中で彼には仕事の切れ味があると感じていました」
一方の長男については、自分が社長を受け継ぐかもしれないことは予想しつつも、その重圧に対する迷いや不安があり、悩んでいるのではないかと中農さんは感じていたという。5年以内に決めるという予定は遅れ、7年が経っていた。だが、そのときの中農さんの頭の中には一つの解決案が浮かんでいた。
「中小の物づくり企業を取り巻く経営環境が年々厳しくなっている中で会社を発展させていくには、攻めと守りの部分を分けたほうがいいと。新規に投資して設備を入れて技術を磨き、新しい市場に出ていく攻めの部分と、毎月のキャッシュフローや半年後、1年後の資金繰りを安定させていく守りの部分、これを二人に分けてやらせたらどうかと考えたのです」
そして決断のときが来た。中農さんが先に話をしたのは、実子ではなく西島さんのほうだった。そのとき西島さんは入社8年目の26歳という若さだった。「なぜ西島を先にしたかというと、西島からの答えがないと私の考えが実現性のあるものかどうか分からず、息子に話ができなかったからです。西島と膝を交えて話をして〝私が後を継ぎます〟という返事をもらった上で、私は中農製作所の代表として、そして親として、息子に話をしました。その結果、息子は会社財務の総責任者を務め、会社全体のマネジメントは社長の西島が行うことになりました」
経営者の熱い思いが重要に
一方、社長を継がないかと言われた西島さんのほうはどうだったのか。迷いはなかったのだろうか。
西島さんは「即答しました。これまで社長と接してきて、もしかしたらいつかはそういう話も出るかなとは思っていましたから。ただ、まだ26歳と若かったし、まさか晩飯に誘われた、その場でこんな話をされるとは思ってもみませんでしたが」と笑って言う。
「それからは、〝どう思う?〟と意見を求められたとき、社長として考えるならこうかなというように、考え方が変わりました。それまでは社員という立場で意見を出して、あとは社長が決めてくださいという形でしたから」
次の課題は「何を」承継していくかということだった。「中農製作所の強みや弱みなども含めて情報を社内で共有していくことにしました。最初に行ったのが財務の公開。まずは西島に見せて、何年かしてから社内にもオープンにしました。そして『知的資産報告書』も数年かけて作成しました。この『知的資産報告書』で一番重要だったのは、自分たちでも気付かなかった自社の強みが分かったこと。その強みがどこから生み出されているのかが明確になりました。実はこの一番大事なことを、それまでは把握できていなかったのです」
それからも、顧客にはあいさつ回りなどで次期社長として紹介していき、金融機関に対しても、書類作成などの際に一緒に出向いてあいさつしたりと、通常の業務をこなしながら、事業承継への準備を進めていった。
そして一昨年に西島さんは34歳で取締役社長に、中農さんは代表取締役会長に就任。現在の体制は3年目に入っているが、事業承継に時間をかけてきたこともあり、業務は順調に動いていると、中農さんは自信を持って語る。
「中小企業だからこそ社員一人ひとりが力を出せる会社にしなければならない。社員の中から後継者を見つけるには、その熱い思いをトップがどれだけ持っているかが重要です。そういう思いを伝えていくことで社員が伸び、社長候補となる人材が出てくる可能性も高まるのです。ただそれには時間がかかるので、事業承継の準備は早くから始めることをお勧めします」
会社データ
社名:株式会社中農製作所
住所:大阪府東大阪市新町21-26
電話:072-981-0969
代表者:中農康久 代表取締役会長
従業員:51人
※月刊石垣2015年11月号に掲載された記事です。
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