事例3 事業転換を恐れない社風が創業130年の暖簾を守る
村上(栃木県宇都宮市)
肥料商から石炭販売業、石油販売業と時代の要請に合わせて業態を変えてきた栃木県宇都宮市の名門企業を継承するとき、時代は大きく変革していた。会社の暖簾を守るのか、事業を継承するのか。父と子で出した答えは「暖簾を守る」だった。
肥料から石炭、さらに石油へ
明治10(1877)年、初代・村上浜吉は肥料商として現在の村上を創業し、26年には浜吉は宇都宮商業会議所(現宇都宮商工会議所)の設立発起人となり、初代議員となった。
その後、常磐炭田の石炭販売権を取得して2代目に継承、3代目の光二さん(現社長の祖父)が昭和10年、村上石炭店を設立した。34年、石油元売り大手の丸善石油(現コスモ石油)の特約契約、石油製品を主力商品として販売するようになる。40年代に入ると、宇都宮市内を中心に県内各地に給油所や東日本で初めての連続自動車洗車場をオープンさせる。村上はモータリゼーションの波に乗ったのである。
53年、4代目の肇さん(現社長の父)が社長に就任。就任前に取り組んだ石油販売業立ち上げの実績をもとに給油所、パーキングといった自動車関連事業を発展させる。現社長の龍也さんは会社を継ぐと決めたとき、4代目に「武者修業をしてこい」と丸善石油に入社を決めた。特約店の子弟という立場なので2年という期限を区切られた。そのころは石油会社が別会社を設立してリゾート開発や外食産業に進出を図っている時期だった。約束の期限が近づいたとき、上司が「これからは石油だけでは食えなくなる。あと2年延長して別の世界を見てみろ」とアドバイスしてくれた。「この上司に出会わなかったら、今の村上はなかったかも知れない」と龍也さんは振り返る。そして、5年近くになった武者修業期間を終えて平成2年、村上に入社する。
石油事業から撤退を決断
龍也さんの胸の内には「石油業界に未来はあるのか」という疑問が大きくなっていた。先の上司に相談すると「個人の立場で言えば」と前置きされて「業界に残るのなら大手の傘下に入る道しかないだろう。もし独立経営を保ちたいのなら石油を止めろ」とアドバイスされた。
先代と話し合いの結果、平成10年に石油事業から撤退する。この撤退で会社規模を大きく縮小させる。「石油事業から撤退と、次の新しい事業の立ち上げはほぼ同時。給油所の延長線上にある自動車関連事業を検討したものの、展望が開けない。そこでキーワードを三つ設定して新事業を探しました」。そのキーワードは「メーカー、特約店制度のない業界に進出しよう」「現金が入る商売にしよう」「ルートセールスでやれる事業にしよう」というものだった。
「3番目の条件には当てはまらないのですが、名古屋で人気が出始めていたスーパー銭湯が有望だということが分かりました。そこで名古屋の温浴施設で勉強させてもらい、市内に『スーパー銭湯 コール宝木之湯』を開業しました」
売上高は石油事業撤退直前の50億〜60億円から激減。温浴事業では、その10分の1の5億円程度にしかならなかった。しかし、初年度から黒字を確保できた。そして12年、2店舗目の「スーパー銭湯 コール宇都宮の湯」を出店。2店舗目もうまくいった。しかし、これがきっかけで大手住宅メーカーなどの大企業が温浴施設に参入してきてしまう。そのためこれ以上の出店は断念した。
ちょうどそのころ、「空洞化の進む中心市街地を何とか再生させたい」という思いから、宇都宮商工会議所も名を連ねる官民組織「宇都宮まちづくり推進機構」が誕生。宇都宮駅周辺まちづくり部会では市の中心部で展開する「食の集積・屋台村設置構想」をまとめていた。しかし事業化に乗り出す企業がなかった、そこで村上が手を挙げた。「創業130年という暖簾が信用となって市や会議所が任せてくれたのだと思います。創業者の立場ではできない事業でした」と振り返る。
現在の村上の売上高は安定的に推移している。しかし、龍也さんは満足していない。「次のステップに踏み出さなければならない」と前を見据えている。
会社データ
社名:株式会社村上
住所:栃木県宇都宮市問屋町3172-54
電話:028-656-3111
代表者:村上 龍也 代表取締役
従業員:社員10人 アルバイト70人
※月刊石垣2015年6月号に掲載された記事です。
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