パレスチナ刺繍の魅力を届け ビジネスで貢献することを目指す
パレスチナ・アマル 代表 北村記世実(きたむら・きよみ)
「希望」を彩る刺繍
私が初めてパレスチナを訪れたのは、1999年の冬でした。友人からの紹介で、医療系NGOのボランティアとして、ガザの赤新月社(赤十字)のリハビリセンターで活動しました。そこで出会ったガザの人々は、貧しいけれど明るくてホスピタリティーに厚く、よく私を家に招いては、おもてなし料理をつくってくれました。
「厳しい状況での生活なのになぜ、優しくなれるんだろう?」。私はその精神性の高さにすっかり魅了されました。
その後、何度も激しい攻撃を受けていたガザは2006年完全封鎖されました。「パレスチナのために何ができるだろう?」。結婚、出産、育児を経て、一時は看護師として貢献することを考え、看護学校に通いましたが、あえなく挫折。そんなとき思い浮かべたのが、バラの模様が施されたパレスチナ刺繍(ししゅう)のストールでした。それはUNRWA(国連パレスチナ難民事業機関)のパレスチナ刺繍プロジェクト「Sulafa」により、難民女性がつくったものでした。十数年使っても、糸のほつれ目もなく退色もない高品質な刺繍です。パレスチナ刺繍は、母から娘に代々伝えられる伝統工芸であり、現地の女性のアイデンティティーの象徴です。失業率の高いパレスチナにおいて貴重な収入源でもあります。
「これをもっと一般に流通させることができれば」という思いを強くし、産業支援プラザの支援を得ながら起業準備を経て、13年にパレスチナ・アマルを起業しました。アマルとはアラビア語で「希望」。パレスチナと日本の希望の懸け橋になれるよう、そう名付けました。
夢は叶う、コロナを経て
起業当初、ヨルダン川西岸地区ヘブロンでつくられるパレスチナ織物の販売をメインに行っていました。もともとガザはガーゼの由来になるぐらい織物産業が盛んでしたが、今では織物工場が一軒のみ。そこでつくられる最後のパレスチナ織物ということで「ラスト・カフィーヤ」と呼ばれています。
その工場では、日本製の古い織機(SUZUKI LOOM)を、現地の職人が約60年もの間メンテナンスしながら使っています。パレスチナの織物文化と日本技術の融合から生まれる素朴な風合いと独特な配色が特徴の織物です。このカフィーヤをメインに、オンラインショップや百貨店、ギャラリーで販売を展開しました。
いつかは、あのパレスチナ刺繍を扱いたいという思いはずっと抱いていましたが、完全封鎖され、人の移動も物の流通も厳しく制限されているガザの商品を扱うのは、途方もなく難しいことでした。しかし起業して4年目、幸運にもUNRWA保健局長の清田先生と出会い、Sulafaのパレスチナ刺繍を扱えるようになりました。さらに、ガザを再訪する夢も叶(かな)い、その際Sulafaのセンターを訪問。16年ぶりに現地の友人たちと再会することもできました。
今はオリジナルの商品に加えて、協同でパレスチナ刺繍のスカートを作成しています。コロナ対策で足踏み状態でしたが、今後は、刺繍を生かしたモノづくりをしていく予定です。雲をつかむような挑戦ですが、実現できる日を信じて、尽力しています。
会社データ
社名:パレスチナ・アマル
所在地:滋賀県草津市大路1-1-1 Lty932 4F 草津SOHO
電話:077-514-7136
創業:2013年9月
事業概要:パレスチナ伝統工芸品の輸入販売
※月刊石垣2020年7月号に掲載された記事です。
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