渋澤健さんは、渋沢栄一の玄孫(やしゃご)に当たり、孫で嫡男の敬三(日本銀行第16代総裁、大蔵大臣)の弟・智雄の孫だ。栄一の関心事は国家繁栄に尽くすことにあり、一族や子孫に財産を残すことにはあまり関心を示さなかった。しかし健さんは、独立して会社を設立した時、栄一が「言葉」という財産を残してくれたことに気が付いたという。
投機を禁じる渋沢家の家訓を知り研究を始める
小学校2年まで日本で生活し、その後は父の仕事の関係で渡米した健さん。米国で学生時代を送り、大学院卒業後は米国系金融機関やヘッジファンドに勤めていた。そのため、ほとんど栄一を意識せずに20代、30代を過ごした。
栄一の言葉と出会ったのは40歳になり、投資などのコンサルティングを行うシブサワ・アンド・カンパニーを立ち上げた2001年ごろだ。500もの会社を立ち上げた人だから、何か学ぶべき言葉を残しているのではないかと、渋沢家の家訓を調べ始めたところ、「投機をしてはいけないと書いてありました」。
家訓は、第一則「処世接物ノ綱順」、第二則「修身斉家ノ要旨」、第三則「子弟教育ノ方法」に分かれており、第二則第四項に、
"「投機ノ業又ハ道徳上賤ムヘキ務ニ従事スヘカラス」
(投機または道徳上いかがわしい仕事に携わってはならない)"
とあった。
「道徳上いかがわしい仕事はしていませんが、安く買って高く売るトレーディングの仕事は投機です。家訓に反していたのだと気が付きました。私にとっては不都合な言葉でしたが、栄一の言葉をもっと研究すれば、別の教えもあるのではないかと、資料を調べるようになったのです」
事なかれ主義と政府依存がまん延した明治・大正時代
大正時代に行われた講演録「元気振興の急務」の中に、こんな言葉を見つけた。
『「其の日其の日を無事に過ごされさへすればそれでよいといふ傾向のあるのは、国家社会に取って最も痛嘆すべき現象ではあるまいか」
「今より四五十年前、即ち維新前後に於ける人々の活動に比するに、その元気に於いて実に天地の差がある」
「動もすれば政府万能主義を叫び、何事も政府に依頼せんとするの風がある」』
明治維新から半世紀もたたないころの講演だ。
「日本人は事なかれ主義となり、何事も政府任せにして、元気を失っている、元気を出せというメッセージです。私がイメージする明治時代は、今とは比べものにならないほど元気な時代なのですが、栄一は危機感を抱いていた。ものすごくインパクトを感じた言葉です」
また「大正維新の覚悟」という講話の中では、
"「今日の状態で経過すれば、国家の前途に対し、大いに憂うべき結果を生ぜぬとも限らぬ」"
と憂いている。
「大正デモクラシーの時代は、当時の日本の歴史において市民が最も豊かに暮らした時代ですが、栄一から見れば事なかれ主義がはびこり、こんな状態ではだめだと警鐘を鳴らしているのです。栄一は1931(昭和6)年11月に91歳で亡くなりましたが、その2カ月前に満州事変が起こり、戦争という暗黒の時代へ突入していきます」
私たちは今、豊かさを享受しているが、「元気振興の急務」や「大正維新の覚悟」で栄一が用いた言葉は、現代の日本にも当てはまるのではないか。
「私の中で、日本はこのままではまずいのではないかというスイッチが入り、本格的な栄一の研究が始まりました。過去の人の言葉を現代の日本人にかみ砕いて伝えることで、役に立てるのではないかと考えたのです」
健さんが経営するシブサワ・アンド・カンパニーでは、栄一の『論語と算盤(そろばん)』を読み解くことで、経営者にとって大切な資質と教養を育むことを目指す「『論語と算盤』経営塾」を主宰している。『論語と算盤』の内容を一方的に講義するのではなく、栄一の言葉にふれた印象を参加者が自身の価値観や仕事、生活と照らし合わせながらディスカッションする1年間の講座だ。
お金の社会還元、富の永続の重要性を説く
1872(明治5)年、栄一が日本初の銀行・第一国立銀行を設立する際、東京日日新聞にこんな文句で“ベンチャー企業”に投資をする株主を募った。
"「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝にたまっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。せっかく人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない」"
と、銀行を通じてお金を社会へ還元させる重要性を説いた。
また『論語と算盤』の中では、
"「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考えているのである」"
と語った。
算盤に長けていればお金もうけができるかもしれないが、富は長続きしない。論語を読んでいるだけで行動を起こさなければ何事も始まらない。いわば、富の永続性へのメッセージである。
栄一の思いにシンクロした投信会社を設立
ヘッジファンドなどで主に機関投資家を相手にした仕事をしていた健さんが、個人投資家に目を向けたきっかけは、39歳の時に長男が生まれたことだった。
「子どもが将来、留学や事業の立ち上げといった何かにチャレンジしようと考えた時に応援する資金をつくるため、給与振込銀行で株式投資信託の積み立て投資を始めたのです」
ところが日経平均株価は、ITバブル崩壊により、2万円近い水準から1万円を割り込むところまで値下がりした。
「ここまで下がれば気持ちがへこむはずなのに、逆にラッキーだと思えました。日経平均に連動して投信の値段が下がれば、1回の積み立ての金額で買える投信の口数が増える(=口数が多いほど将来投信が値上がりした時の資産が増える)からです」
20年、30年後を目指す投資であれば、短期の値上がり値下がりにとらわれずに済む。
「こんな気持ちのいい投資があるのだと、初めて気が付きました」
そして、自分と同じように、子どものため、孫のために世代を超えた投資を望む人はたくさんいるのではないかと考え2008年、個人向けの独立系投信会社・コモンズ投信を立ち上げた。
「コモンズ投信では、個人という微力な存在が集まり、資金をまとめて、持続的な価値をつくろうとしている企業に投資させていただいています。(短期で結果を求める)機関投資家にはできない未来志向の投資です。設立当初はあまり意識していなかったのですが、後で栄一の思いとシンクロしていたことが分かりました」
栄一が残した「言葉」という財産は、健さんの栄一の研究と投信の運用という活動を通じて、次の世代へ受け継がれていく。
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