栄一の商才と思想を磨いた深谷の地に立つ「中の家」
渋沢栄一は天保11(1840)年に、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)で生を受け、10代のころから家業である養蚕や藍玉の製造販売を手伝って、藍の販売や原料の仕入れを行っていました。栄一の合理的な考え方は藍玉の事業に工夫を凝らす中で身に付いたといわれています。
生誕の地に立つ旧渋沢邸「中の家(なかんち)」の主屋は、明治28(1895)年に栄一の妹夫婦が上棟したもので、23歳で実家を離れて日本各地を飛び回る栄一が帰郷した際にはここに寝泊まりしていました。近辺には他にも関連する施設が多数残されており、栄一の原点を垣間見ることができます。