「これ、どうするんですか?」
千葉市で観光農園を営む男性が、農産物直売所へ売れ残ったイチゴを引き取りに行くと、そこにいた女性から声を掛けられた。声の主は、地元で広告代理業を営む「食育ネット」の浅野美希さん。ラジオ番組でのPRをはじめ、輸出や通信販売、さらには商品開発によって、生まれ育った千葉県の農産物の普及に努めている。
2020年春、新型コロナウイルス感染症拡大により、多くの観光農園では観光客が減少し売り上げが急落。前述の男性もイチゴ狩り客の減少による売り上げ減を補おうと直売所へ持ち込んだが、売れ残りは廃棄せざるを得ない。そう告げると、浅野さんは言った。
「私に売ってください!」
廃棄の運命にあったイチゴを使った「農家さん応援プリン」誕生の瞬間だった。
最終面接試験で役員に起業を宣言
「それなら私、起業します! 大手代理店と同じ条件で取引してください!」
関東広域AMラジオキー局の採用試験最終面接の席上、社長をはじめ居並ぶ役員たちに浅野さんはこう宣言した。父方、母方の両祖父母は農家であり、父がラジオ局とも取引のある広告代理業を営む環境で育った浅野さんにとって、祖父母と一緒に過ごす農作業の手伝いも、その合間に聴くラジオ放送も共に大好きなことだった。
アナウンサー志望で受験したラジオ局とは、父親の会社も取引があった。最終面接で「お父さんの家業を継いでもらった方がお互いの発展につながる」と諭されたとき、彼女は持ち前の反骨心も手伝い、起業を宣言。千葉の1次産品をPRする会社として、07年に起業した。
面接での約束どおり取引口座を開設してもらい、ニッポン放送ほかベイエフエムなどで千葉の農作物と産地・生産者のPRに努めていた14年、浅野さんに転機が訪れた。千葉県知事によるマレーシアへのトップセールスに事業者の一員として同行、現地商談会で出会った企業へのイチゴの輸出が決まったのだ。
とはいうものの、千葉県は農産物輸出に関しては後発組。現地の共同催事で知り合った他県の出展者からは「千葉は俺らの20年前を今さらやろうとしている」と言われた。
「確かに同じことをしても他の自治体にはかなわないし、価格競争になればつくり手さんの努力の価値を下げることになる。大手とは違う販路を開拓しなければ」と浅野さんは考えた。彼女はすぐに行動を起こした。
知らない外国での飛び込み営業で活路
「千葉県の野菜、試してみていただけませんか」
現地語はもちろん英語もおぼつかないまま、マレーシアの中で日本人居住者の多い都市ジョホールバルの日本食レストランへ、浅野さんは野菜を入れた発泡スチロール箱を抱えて飛び込み営業を繰り返した。やがてそのおいしさと彼女の熱意に心を動かされたシェフを起点に、納入業者、物流業者へと新たな販路を開拓していった。
さらには日本食に興味を持つ現地の生活者を対象に、太巻きなど日本食の料理教室を続け、草の根の新しい需要を掘り起こしていく。単に農産物を単品で売り込むのではなく、日本の食文化を共に伝えることで互いを理解し合えるコミュニケーションを育んでいくのが浅野さん流だ。現在では名だたる日系百貨店との取引も深まり、輸出農産物はコメやイチゴ、サツマイモなど20品目以上と増え、輸出先もマレーシア、シンガポール、タイ、香港、カナダ、アゼルバイジャン、ベトナムへと広がっている。さて、冒頭の「農家さん応援プリン」。こちらも自社通販サイト「食農ものがたり」をはじめネット通販や催事を通じて7000個以上を販売。品ぞろえもイチゴ、梨、ブルーベリー、ユズと増えた。従来品の2倍の果汁を使い、素材を生かした味が人気の理由だ。常温流通でき、海外輸出も視野に入っている。
「あの人に頼むと何とかしてくれる」
千葉の生産者の間で、こうした彼女への評価は日ごとに高くなっている。地元と海外、生産者と生活者―彼女の活動がそうしたつながりを少しずつ強く、かつ広げている。
(商い未来研究所・笹井清範)
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