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あの人を訪ねたい アンドリューマコーミック

「"Self-belief."自分を信じ抜いた者だけが勝利をつかむ」

「ラグビーワールドカップ2019日本大会」開幕まであと1年に迫った。かつて世界に歯が立たないといわれていた日本のラグビーは、世界ランキング11位(2018年8月現在)にまでなった。世界レベルを日本に持ち込んだのは、元日本代表主将のアンドリュー・マコーミックさん。「日本で世界に勝つ」という夢の実現を誰よりも信じている。

日本代表初の外国人主将

取材に現れたマコーミックさんは、「こんにちは」とおだやかな表情で歩み寄ってきた。オープンで話しやすい雰囲気を、包容力という魔法で瞬時につくり出す。質問には全て日本語で答え、言語化が難しい哲学的な話も彼が知り得る限りの日本語を駆使して伝えてくれる。すぐに日本ラグビーへの敬意と愛情を十分に感じ取ることができた。

マコーミックさんは、現役時代顔を赤くしプレーする姿から「赤鬼」と呼ばれ、185㎝、92㎏(当時)でぶつかる猛タックルが武器の選手だった。出身はラグビー王国ニュージーランド(以下NZ)。祖父も父も代表チーム「オールブラックス」の選手だった。物心ついたころから世界一のラガーマンになる夢を抱いたのは自然な流れだった。だからこそ疑問を抱いてしまう。カンタベリー州代表で80試合以上出場した名CTB(右センター)だったマコーミックさんは、なぜ、25歳の若さで、格下ともいえる日本のチームに移籍してきたのだろう。

「私は8歳からラグビーをしています。一度、海外でラグビーをしてみたいという気持ちが高まったのが20代中頃で、南アフリカ、イタリア、日本の東芝府中が声を掛けてくれました。具体的なプランを聞くと東芝府中に将来性を感じ、日本語の勉強ができるというシンプルなメリットも私には魅力的でした」。ただし長居する気はなかった。2年契約という条件付きで日本行きを快諾したのだ。しかし結果的に、選手として11年間、指導者の期間も入れると計25年間も日本ラグビー界をけん引することになるのだが│。 マコーミックさんは日本に来た当時の苦労話を、茶目っ気たっぷりに話す。「最初に驚いたのは、グラウンドが土だったことです。慣れない私は顔も手足も擦り傷だらけ。まるで“肌が半分なくなるくらい”悲惨だった。それと日本は練習時間が長いね。ニュージーランドの2倍くらい。なぜかって? メリハリの問題。立ったままジッと順番待ちしたり、ダラっと移動したり、改善の余地はありました」

アスリートにとって食事も重要なトレーニングだとすると、「和食が苦手でマクドナルドとケンタッキーで空腹をしのいだ。体に悪いでしょ? だから量をセーブしたら、3カ月で5㎏も痩せた」と笑う。言葉の壁もあった。当時は今のように通訳はつかず、自助努力によるコミュニケーションが基本だった。「欲しいところにパスが来ない」ことなどザラにあったという。彼に限らずチーム全体が「圧倒的コミュニケーション不足」であったため、マコーミックさんは日本語教室に通い、東芝府中時代に日本語検定1級を取得した。また、グラウンドを離れてもチームメートと家族ぐるみで付き合って信頼関係を一から築いていった。そうした努力の結果、2年目から状況は一変した。元来プレーヤーとして世界基準だったマコーミックさんはチーム内で頭角を現し、主将を務めるまでになった。さらにミスターラグビーと呼ばれた平尾誠二氏(故人)との出会いが彼の飛躍を加速させる。1998年、東芝府中の日本選手権3連覇に主将として貢献すると、同年秋、平尾氏の推薦で外国人として初めて日本代表の主将に抜擢(ばってき)された。平尾氏は90年代後半、華麗なステップと卓越したキャプテンシーで日本ラグビーを世界レベルに引き上げようとしたカリスマだ。本場の英国で、世界を学んだ経験のある平尾氏は「日本で世界に勝つ」という目標を真に共有できる「平尾×マコーミック体制」を整えた。格上相手に次々と勝利し、ファンを熱狂させた。

世界で勝つために必要なこと

当然のことながら、ラグビーはチームプレーだ。スター選手一人の力で勝つことなど不可能で、チーム全体の底上げを図らなくてはならない。

では、日本と世界の何が違うのか。その問いにマコーミックさんはたった一言で返した。「Self-belief」。自分を信じきる力だ。「日本人に欠けているマインドは、勝ちたい気持ちでした。『負けたけど良い試合だった』なんて概念は世界にはない。勝たなければ意味がない」

2000年から指導者に転身したマコーミックさんは、one on one(一対一)の指導にこだわった。選手の個性と強みを引き出し「Self-belief」の信念に一人ひとり変えていくためだ。社会人チーム時代はおよそ40人の部員に、関西学院大学ラグビー部時代は125人の部員に、一対一でミーティングをするのだから、一年中、誰かと個人ミーティングをしていた。

マコーミックさんは、ここ数年の日本ラグビーは明らかに変わったと断言する。「前回の第8回W杯大会で世紀の番狂わせと言われた南アフリカ戦を思い出してください。試合終了間際、スコアは3点差、ゴール前左中間でペナルティーゴールのチャンスを得たあのとき、日本は精神的な強さを世界に見せつけました。勝つためにリスクをとり、スクラムを組み、パスを回して回して逆転トライを決めました。自分を信じ切れたからこそつかみ取れた勝利でした」

ラグビーのまち釜石への思い

いよいよ来年は、W杯がやってくる。会場の一つに選ばれたのはラグビーのまち、岩手県釜石市。実は、2011年の震災以降、マコーミックさんは、このまちを何度も訪れている。現役時代に2年間、新日鉄釜石ラグビー部(現、釜石シーウェイブス)でプレーしたのがそもそもの縁。実は震災があった年には、ほぼ同時期にマコーミックさんの故郷であるNZのクライストチャーチもマグニチュード6・1の大地震に見舞われ、現地で被災している。そのため両都市の復興を応援する「クライストチャーチ&東北復興支援チャリティートークライブ」に参加し、懸命に復興を願い続けている。W杯をきっかけに釜石へ多くのラグビーファンが訪れることを願っている。そんなマコーミックさんは、現在の日本代表をどう見ているのか。

「昔の日本と今の日本のSelf-beliefは全然違います。それだけ強くなった。Self-beliefは簡単につくれるものではなく、練習、ミーティング、合宿、食事の全てにおいて準備を重ねていくことが大事なのです。日本代表は、今この瞬間もベストを尽くしています」

日本のラグビーに力を注いで25年目を迎える。最近は、物事を俯瞰してバランスに注力するようになったと言う。「ラグビーに熱中するのは良いことですが、自分の人生をおろそかにしては本当の幸せはやってきません。人生を豊かにするラグビーの在り方を私は追求し続けたい」

アンドリュー・ファーガス・マコーミック

元ラグビー日本代表 キャプテン

1967年、ニュージーランド・クライストチャーチ生まれ。ポジションはセンター。92年に来日して東芝府中に加入。96年から主将として日本選手権3連覇。同年に日本代表入りし、その後主将を務め、99年ワールドカップ出場など25キャップを持つ。2000年に現役を引退、東芝府中で2シーズンヘッドコーチを務めた後、02年に釜石シーウェイブスで現役復帰し、36歳までプレーして03年に引退。のちコカコーラウエスト、NTTドコモ、関西学院大、摂南大のコーチを歴任。現在は講演会活動などで、国際競争での日本人の強みやリーダーシップ論を啓発している。

写真・大亀京助

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