夢を出発点に再び夢に戻る
「夢のある人には希望がある/希望のある人には目標がある/目標のある人には計画がある/計画のある人には行動がある/行動のある人には実績がある/実績のある人には反省がある/反省のある人には進歩がある/進歩のある人には夢がある」
流通評論家、故・吉田貞雄さんの「夢」という詩である。夢を出発点に「希望→目標→計画→行動→実績→反省→進歩」と八つのプロセスを経て、再び夢に戻ってくる。こうした上昇の循環があってこそ夢は実現でき、さらなる夢を持てることを教えてくれる。
この詩の信ぴょう性を証明する人物がいる。子どもの頃から紙飛行機が好きで、宇宙への憧れを抱き続け、宇宙開発という〝夢〟をかなえた産業機器メーカー「植松電機」の植松努さんだ。
小さなメーカーが宇宙開発に挑戦
北海道赤平市。かつて炭鉱の町としてにぎわったものの、廃坑後は人口が6分の1にまで激減したまちに植松電機はある。石炭の掘削に使用する特殊な機械を製造していた植松さんの父は、廃坑後は自動車の部品修理を生業にした。やがて自動車は部品が壊れると部品を丸ごと取り替えるようになり、その仕事もなくなった。
しかし、植松さんは諦めなかった。大学で流体力学を学び、名古屋で航空機設計を手がける会社で働いていた植松さんは家業を継ぐと、産業廃棄物からの除鉄、選鉄に使う電磁石を開発。それは、いまや日本にとどまらず世界で使われている。
さらには、北海道大学でロケットの研究開発に取り組んでいた永田晴紀教授と出会い、全面支援を開始。少年の頃からの憧れであったロケットを開発、人工衛星を打ち上げるなど、同社では宇宙開発を軸に研究開発を進めている。
「どうせ無理」をこの世から失くす
また、全国各地での講演を通じて、夢を諦めないことの大切さを伝える活動にも取り組んでいる。特に若い世代に対しては、失敗を恐れずに、自ら挑戦することの大切さを、小さなロケットづくりなどを通じて伝えるなど、夢と勇気と自信を持ってもらうことを目的とする教育活動を行っている。彼の本当の夢は、こうした活動の中にある。
夢とは「今できないことを追いかけること」であり、それを諦めさせるのが「どうせ無理」という言葉だと植松さんは言う。彼自身も、幼い頃からこの言葉と戦ってきた。中学生の時の進路相談では「飛行機とかロケットの仕事がしたい」と言うと、「じゃあ、東大に行かなきゃ無理だわ。でもお前の成績では、どうせ無理だから」と言われたこともあった。
そんな彼を支えたのが、母が教えてくれた「思うは招く」という言葉だった。思い続ければできるようになるという母の言葉を胸に、植松少年は夢を追い続けた。
「僕の夢は人の可能性を奪わない社会をつくること。だから、誰もがどうせ無理と思う宇宙開発に取り組んだのです。僕たちは夢を諦めるために生まれたのではなく、世界を救うために生まれてきた。やるべきことは、できない理由を探すことではなく、できる理由を考えること。『だったらこうしてみたら?』と考えれば可能性は広がり、それだけで世界はあっという間に良くなります」と植松さんは言う。
これは、あらゆる事業も同じである。不満、不便、不快、不信、不都合、不利など、私たちの周りにはさまざまな「不」が存在する。
事業者の使命とは、そうした「不」を解消していくこと。「どうせ無理」と諦めるのではなく、「だったらこうしてみたら?」と行動してこそ、夢は希望につながり、進歩をもたらす。
(商い未来研究所・笹井清範)
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