国内におけるeスポーツの市場規模は年々拡大し、成長が期待される分野である。老若男女を問わず参加できるのも魅力の一つ。各地では、新たな文化として根付く可能性のあるeスポーツを地域活性化に活用するとともに、バーチャルの世界とリアルを融合させる動きもある。そこで、eスポーツによる地域活性化の現状と展望について考察する。
"温泉×eスポーツ"で親子3世代が楽しめる旅館にアップグレード
「食」を中心に全国422カ所(2023年3月末時点)の施設の管理運営を行う馬渕商事。同社は16年から三重県津市にある温泉旅館を運営してきた。だが、コロナ禍による客足の急減を機に、eスポーツ設備を常設した「スパスポ神湯館」へとリニューアルした。家族3世代が楽しめる温泉旅館をコンセプトに、新たな利用客の開拓を目指している。
コロナで稼働ゼロになった会議室を生かす方法は
三重県津市にある榊原温泉は、京都から伊勢への通過点にあり、伊勢神宮の参拝前に心身を清める「湯ごり」の地として知られる。七栗の湯とも呼ばれ、湯治場としてかの清少納言もたたえたという逸話も残る名湯だ。この十数年ほどで旅館の数は3軒まで減ったが、今も営業を続ける一つに「神湯館」がある。
「榊原温泉界隈はずいぶん寂しくなってしまいましたが、当館の経営自体は順調でした。近隣の府県から研修や会議で利用する団体客、週末には家族旅行で訪れる方がたくさんいましたが、コロナ禍で状況は一変しました」と同館を運営する馬渕商事社長の馬渕祥正さんはこの数年を振り返る。
同社は、学校給食や学食、社員食堂や保養所、病院や高齢者施設など、食事を中心とした管理運営を主事業とする会社だ。1973年に県職員の福利厚生施設として設置された同館を2016年に購入したが、コロナ禍で客足が激減。「このままでは旅館を続けていけない」と、21年夏、新たな誘客策を講じるべく社内で議論した。
「世間の非接触化の流れを受けて、部屋食への移行や露天風呂付き客室へのリニューアルなど、いろいろなアイデアが出ました。ただ喫緊の課題は、団体客が来なくなって会議室の稼働がゼロになり、デッドスペースのようになってしまったこと。ここを生かす方法について知恵を絞るうち、出てきたのが『eスポーツ』というキーワードでした」
eスポーツを楽しんで疲れたら温泉に漬かる
eスポーツを提案したのは、意外にも60代の社員だったという。その社員の孫がゲームばかりしていることから着想したそうだが、現にeスポーツ市場は世界的に成長しており、競技人口や視聴者は増えている。子どもや若い世代にとって魅力的なだけでなく、高齢者にとってもフレイル(加齢により心身が衰えていく状態)や認知症の予防・改善効果が期待されている。
「家族3世代でeスポーツを楽しんで、疲れたら温泉に漬かって、おいしいご飯を食べてもらう。そんな利用法をイメージして、具体的な検討に入りました」
まず確認したのは通信環境だった。もともと同館の通信環境は脆弱(ぜいじゃく)で、Wi-Fiが使えたのは共用部分に限られ、客室では使えなかった。そこにeスポーツを快適に行うために必要な10GB3本の光回線を整備できるか、また落雷などで停電が起こった場合にデータをバックアップできるかなどさまざまなシチュエーションを慎重に検討し、22年2月から館内の工事に着手する。従来の会議室に136インチの大型LEDビジョンを設置し、プレーヤーや観客が50人収容でき、eスポーツ大会の開催も可能なスタジアムへと改装を進めた。また、3フロアある客室の1階の5室を、ゲーミングPCが3~5台設置されたeスポーツトレーニングルームにリニューアルした。その1室は、プロのレーサーが監修したドライビングシミュレーターがあり、レーサーの気分が体感できる。2~3階は従来の客室なので、温泉と料理が目的の利用者も十分に満足できる。
「満を持して22年9月にプレスリリースを出したところ、予想を超える問い合わせがありました。eスポーツ連盟から『大会やイベントに使えるか?』、学校の部活や大学の同好会から『合宿に使えないか?』など。中には、地下アイドルのライブ配信に使いたいという想定外の問い合わせもあって、いろいろなシーンで活用できることが分かりました」
その後、テストを兼ねて大学のeスポーツ部の合宿に使ってもらったところ、通信回線や配信設備に問題はなく、今年の2月、「スパスポ神湯館」として営業を開始した。
ゆくゆくはeスポーツの聖地と言われる温泉地に
日本では珍しいeスポーツ設備常設の温泉旅館に生まれ変わった同館だが、周囲の反響は好意的だという。すでに行政や観光協会は、eスポーツでの集客PRを展開している。周辺の温泉旅館も、過疎化の進む地域に人のにぎわいを生み出す起爆剤になると捉えているようだ。また雇用面でも、旅館従業員を1人もリストラせずに済んだだけでなく、名古屋の大学の卒業生が「eスポーツに特化した旅館でぜひ働きたい」と、この4月に入社してきた。今後も若い人に働いてもらいたいと馬渕さんは期待を寄せる。
「ようやくコロナ禍から抜け出しつつあり、宿泊客は戻ってきています。eスポーツ目当ての利用客はまだ多くはありませんが、今後、広く認知されていけば徐々に増えていくと思います。ゆくゆくは『eスポーツの聖地』と言われるような温泉地を目指したい」
2月から子会社のMyフィールドに運営を移管した同館は、新たなステージへと飛躍しようとしている。
会社データ
社名 : 神湯館(しんとうかん)
所在地 : 三重県津市榊原町5079
電話 : 03-3278-0010(馬渕商事)
HP : https://www.mabuchi-net.co.jp/sp/
代表者 : 馬渕祥正 代表取締役社長
従業員 : 2500人(馬渕商事)
【津商工会議所】
※月刊石垣2023年6月号に掲載された記事です。
最新号を紙面で読める!