2024年2月22日は、日経平均株価が1989年の大納会でつけた史上最高値の3万8915円を更新した日として記憶に新しい。「負のバブルは正常化へ」と一部の識者たちは評価し、強い日本企業の復活が喧伝(けんでん)された。
一方、こんなデータもある。1989年の世界時価総額ランキングを振り返ると、NTTを筆頭(1位)に上位10社のうち7社に日本企業が名を連ね、トップ50のうち32社を日本企業が占めていた。ところが、2024年のトップ50にはトヨタ自動車の1社が39位にランクインするのみだ。
企業の業界でのポジションや市場からの評価を示す時価総額だが、1989年の日本はバブル経済活況の真っただ中にあった。その後バブルははじけ、日本は「失われた30年」へと沈んでいく。
いったい、企業の価値とは何だろうか。
日本では昭和から平成へと元号が移り、世界ではベルリンの壁が崩壊した1989年、台湾で小さな書店が産声を上げている。書店とは「誠品書店」、創業者は呉清友という。
15年の赤字に耐え貫き通した信念
書店と画廊を融合したような同店では、毎日のように書籍に関連するイベントや講座を開催。さらには「読書は基本的人権であり、書店は誰もが平等な場所」という呉の信念により、24時間営業を実施した。誠品のような大型書店での24時間営業は世界で初めてであり、店はあっという間に台湾の文化拠点となった。
しかし、経営は苦しかった。24時間営業は人件費などのコストが売り上げに見合わない日も多く、同社は起業から15年間にわたり赤字を出し続けた。呉は不動産を次々と手放し、知人に金策を頼むことも珍しくなかった。しかし、事業理念を曲げることはなかった。
では、創業者が保ち続けた理念とは何だろうか。彼の生涯と誠品の創業からの歩みを記した『誠品時光』(林静宜著/横路恵子訳)にこうある。
「よき経営者は、事業の根幹が社会の有益性の上に構築されるものであり、企業の存在が他者にベネフィット(利益)のあるものでなければ、長く存続させられないことを知っている。このため、企業が語る〝利〟とは、哲学的なレベルでの〝他者への利〟であり、経済的なプロフィット(利潤)だけで語ることはできない」
同社によると、「誠」とは誠実さ、こだわりのある優しさであり、「品」とは仕事の品質の高さと人としての品格のこと。「誠品」とはより良い社会の追求と実現を表わしている。呉が「誠」という字を企業名に冠したのは「富はいつか無になるが、『誠』という字だけは、生涯尽きることのないものだ」という家訓によるという。
ドラッカーが説く企業の役割と利益
呉清友はさらに続ける。「もし、どちらか一つだけを優先させるのであれば、まずは〝他者の利〟、つまりまず社会に利することを考えなければ、企業は心安らかに利潤を得ることはできない」
このように誠品にとっての「利」に対する価値観は、一般企業のそれとは異なっている。
同社は、「利」とは財務上のデータではなく、もてなし、善良さ、人のことを考える心としている。大切にしているのは遠く先まで続く影響力であり、目先の収益などではない。だからこそ、赤字に耐え、読者のことを第一に考える企業として発展することができたのだ。
また、マネジメントの父、ピーター・ドラッカーは「企業とは何か」という問いに対して次のように述べている。一般的には「企業とは収益を生むためのもの」とされてきたが、それは間違いであるだけでなく、問いからずれた答えだと自著『マネジメント 基本と原則』で指摘している。
ドラッカーは、企業とは「社会に属する有機体」と断言。その目的は必ずしも企業そのものにあるわけではなく、社会と関連していなければならず、利潤のみで測ったり定義したりするべきではないとしている。
他の人に花をプレゼントすれば、自分の手元には花の香りが残る。他者に利益を施してこそ、己の利順が得られることを、呉は実践で、ドラッカーは理論として教えてくれる。
(商い未来研究所・笹井清範)
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