日本の地方商業をけん引してきた巨星が一つ落ちた。家業の呉服店「登美屋」(岩手県北上市)を経営するかたわら、協同組合江釣子(えづりこ)ショッピングセンター(SC)「パル」の理事長として地元主導型SCを運営し、地域経済の活性化に貢献した髙橋祥元・前理事長である。
享年84歳。パル開業43年目の秋のことだった。訃報に触れたとき、「地域は母なる地」という、かつてインタビューした際の髙橋さんの言葉を思い出した。
地域は母なる地 商いとは親孝行
「私たちにとって、地域は〝母なる地〟です。温かく、そして厳しく育ててくれるありがたい存在です。『1億人に1億の母あれど、わが母にまさる母なし』といいますが、店のある地域もまた、偉大なる母です。地域を大切にする心と行動は親孝行と同じなのです。親孝行ができずに、お客さまに親切にできるはずがありません」
こう語っていた髙橋さんの商人人生は、まさに親孝行を貫くものだった。
1973年、東北自動車道のインターチェンジ建設計画をきっかけに、当時人口わずか8000人の岩手県江釣子村(現北上市)にSCを建設する構想が立ち上がった。後にリーダーとしてSC開発計画を推進した髙橋さんは当時33歳。青年の目には、地域商業の行く末と、なすべきことがどのように見えていたのだろうか。
北上江釣子インターチェンジが供用開始となった1977年、髙橋さんは村内外の零細小売業者の結束を促し、SC調査研究の視察、自主勉強会、地権者との交渉、組合の設立、ゼネコンとの交渉など、全てが未知の事業に取り組んでいった。途中、何度も挫折の危機に直面するが、そのたびに粘り強く準備を進めた。
SC計画に対して「江釣子事件」といわれるほどの反対運動が起きた。当時の大店法下で全国初となる広域商業活動調整協議会が設置され、協議が行われるまでに難航。計画は孤立無援、四面楚歌(そか)の状況に追い込まれるが、それでも髙橋さんは諦めなかった。
苦難を乗り越え、江釣子SCが開業を迎えたのは1981年のことだった。地元主導の郊外SCとしては県内初、全国では4例目となる。
成長と変化忘れぬ革新と挑戦は続く
しかし、SCを建てることが本当の目的ではない。その後の営業を通じて地域の暮らしに貢献し続けてこそ目的に近づいていける。
「子どもはみるみる成長し、変化していく。子どもの成長、変化に負けないように、私たちパルも成長、変化し続けなくてはならない」と語るように、パルは常に「3年前計画、5年ごとのリニューアル」で事業を推進していった。計画の初年度は調査研究、2年目は具体的な計画作成、3年目は実行。組合員全員が考えを共有し、反対なく全員が実行するために必要な段取りであり、事実、パルは成長と変化の歩みを続けている。
髙橋さんは単にSCをつくったのではなく、お客と地域を大切にする商人を育てた。「生活者のライフラインを担う者として、商人として、食べ物一つ、着る物一つとっても、私たちは常に地域とお客さまと〝見えざる契約〟をしているのです。それを常に肝に銘じていなければなりません」という言葉は今もパルに受け継がれている。
髙橋さんから以前、「而今(にこん)」と記された直筆の揮毫(きごう)をいただいたことがある。過去や未来にとらわれず今を精いっぱいに生きてこそ、過去は生き、未来が開かれるのだろう。まさにそんな商人だった。そして、それは遺された者にしかと引き継がれている。
(商い未来研究所・笹井清範)
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