ミシン部品の製造業としてスタートしたヒラマツは、現在、重量鋼構造物や大型車輌用洗車機の製造・開発を主力事業に、福祉事業へも進出している。2013年、三代目で代表取締役社長に就いた平松洋一郎さんは、創業から続く「モノづくりを楽しむ精神」を柱に、福祉との相乗効果で事業を拡充する。
家業の課題解決を見据え 進学・就職先を決める
1951年、三重県津市で平松鉄工所として創業したヒラマツは、当初はミシンの部品製造を手掛けていた。その後、創業者の平松正さんが米国で自動洗車機を目にしたことを機に、64年より移動式自動洗車機「ポートシャワー」の開発に乗り出す。翌年、実用新案に登録し、66年にはNHK全国発明コンクールに入賞。バスやトラックなどの大型車両洗車機のパイオニアとして、礎を築いていった。
69年には日本鋼管(現JFEエンジニアリング)からの受注が増え、社会インフラを支える鋼構造物製造も事業の柱となっていく。
「祖父である初代は発明好きで、いろいろなものを発明していました。晩年、がんで入院中に看護師さんの負担を軽減する製品を考え、良い図面が描けると、病院を抜け出して工場に向かったというのは今も語り草です。二代目の父・正彦は、名古屋大学で溶接の研究をしていたほどの筋金入りの技術者。大学卒業後は渡米して研究を続けたかったそうですが、祖父の体調不良で家業を継ぐことになりました。そのため祖父からは、『長男が家業を継ぐのは当たり前』と言われましたが、父から言われたことはありません」
そう語る三代目で代表取締役社長の平松洋一郎さんは、中学生の頃には家業を継ぐ決心を固め、「祖父から、家業の技術力の高さと販売力の弱さを聞かされて育ったので、モノづくりは好きでしたが、『つくる』より『売る』力を身に付けて家業を支えたいと思いました」と言う。
その志を貫き、大学は法学部経営法学科を専攻し、ゼミは会社法を選んだ。
他社で営業力を磨き 家業の新時代をけん引
卒業後は、すぐに家業には入らず、あえて離職率の高いリフォーム会社に就職した。
「営業職に就きましたが、同僚が次々と退職していく中、営業の結果が出るのも一番遅く、営業の世界の厳しさ、難しさを経験しました。家業を継ぐ意思は決まっていましたが、当時は厳しい環境から逃げるように、先代へ家業を継ぎたいとお願いしました」
それならと、修業先として千葉県にある同社の洗車機を扱う販売代理店への出向を提案された。
「家業を継ぐ意思に、父は驚きつつも喜んでくれていたようでした。しかし、修業先では洗車機の知識がある前提で扱われてしまい、必死でした」と苦笑する。インターネットがない時代、タウンページを頼りに営業した。
