前号では、家具型ロボット群を例に、機能と意味は必ずしも同じではない、と書きました。モノの意味は、あらかじめ固定されているのではなく、人や場所や状況との関係の中で立ち現れてくるものです。使い方が決まっているように見えるモノであっても、置かれ方や組み合わされ方が変わることで、思わぬ意味を帯び始めることがあります。
そのことを、また別の角度から教えてくれるのが、井上千聖(ちさと)さんが手掛ける「ケーブルいけばな※1」です。井上さんは電機メーカーに勤務しながら、いけばな草月流の師範でもあり、ケーブルやヘッドフォンを花材のように扱う作品を制作しています。草月流には、「いつでも、どこでも、だれにでも、どのような素材を使ってもいけられる」という考え方があります。いける対象が花だけに限らないその自由さを生かし、現代の生活空間の中で新たなかたちを取ったものの一つが、ケーブルいけばななのでしょう。
私たちは普段、ケーブルを機能としてしか見ていません。電気や信号を通し、機材同士をつなぐものであり、できれば目立たぬよう片付けるものです。しかし井上さんの作品では、線のしなやかさ、たわみ、張り、束ね方、草花や周囲の空間との呼応が前景に現れています。するとケーブルは単なる配線ではなく、空間の流れや関係を可視化する線になります。機能のための存在が「見立て」によって、場を形づくる要素へと変わるのです。
ここで大事なのは、派手な素材や珍しい素材を使うことではありません。身の回りの要素を丁寧に見つめ直し、通常なら結び付かない要素を組み合わせることで、そこに潜んでいた特徴や美しさを見いだすことができる、ということです。創造性とは、何もないところから特別なものを生み出す力だけではありません。すでにあるものの見え方を変え、意味の芽を見つけ、それを育て、花を咲かせる力にもなり得るのです。そうした感性は、生け花や俳句のように、日常に潜む美をすくい上げる営みとして、私たちの身の回りで長く育まれてきたのかもしれません。かばんの中の充電ケーブルやモバイルバッテリーの中にも、まだ見ぬ意味の芽が眠っているはずです。
※1「ケーブルいけばな」を紹介している井上さんのSNSはこちら▶︎▶︎ https://www.instagram.com/chisato.iu/
慶應義塾大学 中西泰人研究室 ▶︎▶︎https://unitedfield.net/

