私の生まれ故郷、新潟出身の選手だけに思わず観戦にも力が入ってしまった。平昌五輪スノーボード・ハーフパイプの平野歩夢選手だ。
新潟県村上市で育った平野選手は、小学校入学前から兄と一緒にスノーボードに熱中していた。スノーボード・メーカー「バートン」と契約したのが小学校4年生の時だというから、いかに将来を嘱望されていたかが分かるだろう。中学3年生で出場したソチ五輪(銀メダル)までは、まさに順風満帆だった。
しかし、命の危険さえあった大ケガを負ったのは、去年3月のことだった。アメリカの大会で転倒。救急搬送された病院での診断は肝臓破裂。「打ち所が悪ければ死んでいた」と担当した医師は言った。2週間に及ぶ集中治療室での安静。5月から練習を再開したものの、新たな敵は自分の中に巣食う恐怖心だった。
身長160㎝、体重50㎏。小柄な平野選手の武器は、誰も真似のできない大技の連続、その修得の中での大ケガだった。しかし、彼の本当のすごさは、そうしたアクシデントに怯(ひる)むことなく、自分自身に挑み続けたその勇気といえるだろう。
平昌では磨いてきた大技が炸裂する。「フロントサイドダブルコーク1440」からの「キャバレリアル(キャブ)ダブルコーク14」の連続(こう書いても誰も分からないか 笑)。
彼が史上初めてやった連続して4回転する究極の技だ。これにさらに連続3回転を加えて完壁に滑った。100点満点が出てもおかしくない完成度だと思った。
しかし、ここから先は運命のいたずらとしか言いようがなかった。平野選手がこの大技を決めたのは2回目の滑走。決勝は3回で争われる。ここで満点を付けると、3回目の演技に出せる点がなくなる。審判もそこを考慮したのか、平野選手の得点は95点台。ライバルのショーン・ホワイト選手がこれを上回ったのは3回目の最終滑走だった。審判も何の心配もなく点を出せる状況だった(これはやっぱり新潟出身のひいき目か)。
「あの場面で最高の演技ができる彼がすごかった」と、負けてライバルを称える平野選手を誇りに思った。「悔しさはどこかにある。それを(将来に)つなげられたらいい」。2回目の五輪も通過点。クールで寡黙、感情を表に出すこともない。それでも秘めた闘志は誰よりも熱い。大切なのは結果ではなく志だ。
※1 縦2回転横4回転するスノーボードの技。コークはコークスクリューの略。1440は回転角度 ※2 スケートボードのスティーブ・キャバレロ選手が開発者。14は1440の略
写真提供:産経新聞
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