平成29年の幕が開けた。多様な働き方を可能にするとともに成長と分配の好循環を目指し、安倍政権が掲げる「働き方改革」が本格的に始動する。日本経済にとっては大きな転換期になるかもしれない。そこで、有識者に話を聞き、いち早く動き出している各地の企業の取り組みを追った。
総論 雇用を生むだけでなく、消費行動につながる改革が急務
慶應義塾大学商学部教授/樋口 美雄
政府は「一億総活躍社会の実現」を掲げ、働き方改革を進めている。そこで安倍総理が議長を務める「働き方改革実現会議」にも有識者として参画している慶應義塾大学商学部教授の樋口美雄さんに、働き方改革の必要性と中堅・中小企業の取り組み方を聞いた。
働く人の意欲を高め生産性の向上へ
安倍内閣は、平成28年6月に閣議決定した「ニッポン一億総活躍プラン」の中で、「成長か分配か、どちらを重視するのかという長年の論争に終止符を打ち、『成長と分配の好循環』を創り上げる」姿勢を明らかにした。政府のシナリオはこうだ。長時間労働を是正することにより、女性や高齢者の就労を促して働く人の比率を高めるとともに、効率よく仕事する環境を整えて生産性を向上させる。そして、賃金引き上げを後押しすれば消費が拡大。税収も増え、出生率も改善して少子高齢化に歯止めが掛かる―。
現状はどうなのか。15歳以上65歳未満の生産年齢人口は平成7年の8717万人をピークに減少を続け、27年は7682万人となり1000万人以上も働き手が減った。「その分だけ〝天井〟が下がっていたわけですが、経済の低迷が続き企業が採用を抑制していたためあまり問題にならなかった。ところが近年景気が上向いて採用を増やしたところ、すぐに人手不足に陥った。天井を引き上げるという意味でも、女性や高齢者が活躍できる状況をつくり出すことが必要です」と樋口さんは指摘する。
働く人が減るのと同時に、モノを消費する人も減る。これでは縮小経済に陥りかねない。だからといって働く人を増やしただけではだめで「働く人の消費需要を喚起し、企業の投資を促すような労働市場改革を考えなければならない。そこに賃金や雇用条件の改善が関わってくるのです」。
政府は女性や高齢者の活躍を提唱しているが、実は女性などの雇用は増えている。27年版「労働力調査」(総務省)によると女性の場合、役員を除く雇用者数は2388万人で、正規の職員・従業員と非正規の割合(%)は43・7対56・3である。5年前(22年)と比較して雇用者全体では115万人増えているが、正規は8万人減り、非正規は122万人増えている。
「希望や意欲を高めることができる働き方改革を実現しないと、単なる人数合わせで終わってしまいます。働く人の意欲の高まりにより無駄を減らすことで生産性の向上を実現する仕組みをつくらなければなりません」
賃金は意欲を高めるための重要な要素だが、それだけではなく「労働時間の柔軟性を高めなければならない」と樋口さんは言う。今のような長時間労働を強いる仕組みを改善しなければ、社員を含め労働意欲が失われてしまう。労働時間を是正してワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を確保するとともに、多様な正社員の形態を普及させなければならないのだ。
7割もの労働者が非正規雇用を選ぶ理由
現状への不満が非正規雇用という働き方に現れている。樋口さんによると正規雇用されなかったために非正規に甘んじる不本意非正規は3割程度で、7割程度は自分の選択による非正規だという。正社員の働き方が長時間労働で頻繁に転勤があるというように拘束力が強く無限定であるためだ。一方で企業は雇用調整しにくい正社員の数を最低限にとどめ、仕事が多くなると非正規で穴埋めしようとする。そのため「企業には非正規の賃金は安くてもよい、簡単な仕事を与えておけばよいという風潮がありますが、経営者は非正規も重要な人材と認識すべきです。正社員だけ見ていては、効率の向上にはつながらない」(樋口さん)。
高度成長期からバブルのころまでは残業をすることが美徳だったし、転勤は将来を嘱望された社員の勲章だった。しかし、今は付加価値の高い仕事を勤務時間内に生み出すことが求められている。そうした目で社内の働き方を見ると、不要な仕事が多々あるのではないか。一方、多くの非正規労働者は能力がないから不安定な雇用に甘んじているわけではない。非正規労働者はなぜ短時間労働を選ぶのか、なぜ転勤なしの立場を望むのか、なぜ正規労働者の働き方に魅力がないのかを、経営者は改めて考える必要がある。
経営者の意識改革なくして管理職・社員は変わらない
「時間は個人にとっても企業にとっても貴重な財産である。それにもかかわらず不要な仕事を残したままコスト削減と称して社員を減らしていけば、結果的に効率も高まらず、長時間労働になる。仕事の仕分けを考えるときに来ている。また付加価値のない仕事、赤字になるような仕事も見直さないと企業のプラスにはなりません。仕事の効率を高めるためには、正規・非正規労働者の働き方改革と、製品やサービスの付加価値を高めていく作業をセットで進めることが重要です」(樋口さん)
そこでまず重要なことは「経営者の意識改革」だという。その上で経営者はトップダウンで「管理職の意識改革」を進める。「例えば部下が長時間残業を続けているのは、管理職が計画的・効率的に仕事を与えていないためです。それは管理能力がないということで、評価に×をつける」。そして「一般労働者の意識変革」も必要になる。残業すると上司が喜ぶと誤解しているのなら諭さなければならないし、そういう風潮がはびこっているのなら即座に変えなければならない。「ただし3つの改革は企業単体では難しい場合がある」と樋口さんは指摘する。下請けの立場であれば発注元と協議しなければならない。スーパーのように競争が激しく自社だけが休むと顧客を奪われるという危惧があるのなら消耗戦を続けるのではなく、業界全体で協議して休日や営業時間を合わせることも検討すべきだ。
少子高齢化に歯止めを掛けるためには、子育てしながら働ける環境を提供することも不可欠。現行の育児休暇制度の利用促進はもちろんだが、子育てでいったん退職しても復職できる制度の整備や大学などでの学び直しの機会提供、子育てしながら働ける仕事を紹介するマザーズハローワークの強化なども必要だ。
地域の企業を支援する新たな体制づくりへ
昨年4月1日に施行された女性活躍推進法に基づき、国が行う公共調達全般で、価格以外の要素も加味して受注者を決める総合評価方式の入札や企画競争(プロポーザル)方式といった調達を行う場合、原則として、ワークライフバランスの推進認定や女性の活躍度合いを評価する項目を設定することになった。これにはもちろん中堅・中小企業も含まれる。
とはいえ、何から手を付ければよいのか分からないこともあるだろう。地方公共団体側は支援の体制をつくり始めている。その動きはこうだ。まず地方公共団体は政労使が参画する「地域働き方改革会議」を設置して、地方公共団体と労働局による雇用対策協定(国・地方公共団体が一体となって総合的に雇用対策に取り組むため、自治体首長と労働局長が締結する協定)を締結する。その上で企業や従業員に対する働き方改革の取り組みをワンストップで支援する「地域働き方改革包括支援センター(仮称)」を置く。ここでは地域の企業や従業員を対象とした労働時間などの職場環境、非正規雇用労働者の正社員転換・待遇改善、両立支援の整備など「働き方」に関する包括的支援を行う。また企業の要請に応じてカウンセラーを派遣するアウトリーチ支援(公共機関の現場出張サービス)も提供する。「働き方改革アドバイザー(仮称)」と呼ばれるカウンセラーの養成・確保も急務である。そして、働き方改革を推進している企業を優良企業として認証し、成功事例を公表するほか、入札などで優遇するといった措置も検討している。
さらに、日本経済に活力を与えるためには活発な起業が不可欠だ。中小企業庁は中小企業白書(23年版)の中で「起業によって経済の新陳代謝が活発となり、革新的な技術などが市場に持ち込まれ、経済成長を牽引(けんいん)する企業が誕生する」と分析し、「新しい技術や製品などを携えて市場に参入する起業家は、急速に成長して既存の経済秩序を一変させ、経済成長のエンジンとなる可能性を秘めている」と期待を寄せている。
柔軟に対処できる中小企業が担い手に
全国商工会議所女性会連合会はこのほど「第15回女性起業家大賞」受賞者を決めた。この賞は女性の視点で革新的・創造的な企業の創業や経営を行い事業を成功させている女性起業家を顕彰し、督励・支援するために14年に創設された。今回は福祉サービス・教育事業を手掛ける創業6年目のダンウェイ(神奈川県川崎市)が最優秀賞を受賞した。樋口さんは女性の起業について「女性起業家は素晴らしい能力を持っている。起業は大賛成だし期待している」と評価している。女性が起業した企業は経済成長のエンジンとなるとともに、女性が働きやすいモデルを示してくれそうだ。
一方で地方の企業には女性が働きやすい環境が用意されている。通勤時間が短く、3世代世帯が多いため女性は働きに出やすい。ただ問題として、性別による役割分担の意識が強く、女性が管理職や役員になるためのキャリアパスが確立されていないという面もある。
だがそれは「弱み」ではなく、中堅・中小企業経営者の意識改革により「強み」に変えることができる。大企業は多数いる従業員の公平性などを考えるあまり制度から入り、運用が硬直的・画一的になりがちだが、中堅・中小企業は柔軟に対処できるからだ。 ] 働き方改革は「やるかやらないかではなく、どう実践していくかを考える時代に入っている」と樋口さんは指摘する。その先頭に日本の中堅・中小企業が立つ、という覚悟が求められている。
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