〝天使の歌声〟と称される歌声で卒業や旅立ち、応援ソングなど、さまざまなテーマの曲を歌うシンガーソングライターの川嶋あいさん。15歳で福岡から上京し、歌手を目指して「路上ライブ1000回」「手売りCD5000枚」「渋谷公会堂でワンマンライブ」という3つの目標を掲げ、3年間で達成した。音楽活動だけでなく、発展途上国に学校を建設するなど社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
歌手を目指し15歳で上京
小さいころは、人見知りで泣き虫だったという川嶋さんが歌を始めたのは3歳のとき。歌で心を開けないかと考えた母親が、近所の音楽教室に連れていってくれたのがきっかけだった。
「地元の小さな発表会でも、だんだん物おじせず歌えるようになりました。それは大きな変化だったと思いますし、歌を通して人と出会ったり、誰かに褒められたりするのがうれしくて続けられたんだと思います。歌うことは好きでしたが、母は私を歌手にするために自分の人生を懸けていた人だったので、その情熱がものすごくて、それに応えたいという思いが大きかったですね」
中学校を卒業すると、川嶋さんは一人で上京する。
「『中学を出たら東京に行って歌手になるんだ』と思っていましたし、母と私の間でも暗黙の了解でした。ただ、こっちの高校に通って、東京の子たちのおしゃれさとか、華やかさに圧倒されましたね。地元の言葉を発するたびに『えっ、なにそれ?』ってイントネーションを珍しがられましたし、自分がものすごく田舎者に思えて全ての状況がすごく窮屈でした。ふるさとと安心感が違うし、ずっと福岡に帰りたいと思っていましたね。預かりという形で母の知り合いの方の事務所に所属していたので、そこで何かお仕事をもらえないかなって思っていたんですけど、上京してすぐクビになってしまったので、そこからは置き去りのような状況で悶々としていた毎日でした」
勇気を出して路上で歌う
福岡に帰りたいが、母親が応援してくれているので帰れない。崖っぷちに立たされているような思いで足を踏み出せずにいたある冬の日、渋谷を歩いているとギターを片手に一人で歌っている人を目にする。
「初めてストリートライブを見て、私もやってみよう、路上で歌うことを最後の賭けにしようと思いました」
16歳の誕生日を2日後に控えた2002年2月19日、ラジカセとマイクを用意し、当時住んでいた場所から近かった四ツ谷駅前の橋の上で初めて歌った。
「最初は本当に勇気が要りましたね。すごく怖くて、始めたころは歌い終わったら逃げ出すように帰る日々でした。それでも、路上ライブを1000回やるって決めてからは、その目標で自分を奮い立たせて、とにかく1000回までは続けよう、それでダメだったら諦めようという思いで歌っていました」
路上ライブの場所を人通りの多い渋谷に移して歌っていたある日、川嶋さんは現在の事務所のスタッフと出会う。当時、大学生だった彼らから「協力したい」と声を掛けられたのだ。
「運命的な出会いでしたね。キーボードの弾き語りスタイルでオリジナルの曲を歌ってみてはどうだろうとアドバイスしてくれて、発電機やスピーカーなどの機材を揃えたり、CDを焼いてくれたり、看板づくりも大学生のみんなが手伝ってくれました。初めてCDが売れたときは、まさか買ってもらえるとは思っていなくて、とてつもなく大きな喜びでした。東京に来て、初めて希望を感じた瞬間でしたね」
とはいえ、歌う場所が路上だけに大変なことも多かったという。
「たくさんある機材や発電機が重くて、2台の台車に載せてガラガラと渋谷の街を移動していました。スクランブル交差点とか迷惑だったと思うんですけど(苦笑)、それをほぼ365日ですからね。肉体労働でもあり、精神労働でもありました。歌っていたのは屋根がある所ではなかったので、雨が降りだしたら急いで片づけて、やんだらまた始めたり、警察の方に注意されて中断したりっていうことも多かったですね。酔っ払いの方にCDをいきなり落とされることもありましたけど、喜びがあると頑張れるんですよね。渋谷なので、小さな子からお年寄りまでいろんな年齢層の人に声を掛けていただき、たくさんの方がCDを買ってくださいました」
人気番組の主題歌に選ばれ念願のデビュー
そんな川嶋さんに転機が訪れる。2002年の秋、人気テレビ番組『あいのり』の主題歌として、川嶋さんの曲が使われることになったのだ。番組に新人アーティストの曲が選ばれるのは異例のことだった。
10月21日、川嶋さんは本当に自分の曲が流れてくるのかと思いながら、放送を待っていた。
「スタッフと一緒にテレビの前でドキドキしながら見ていたんですが、ブラウン管から自分の声が流れてきたときは信じられない気持ちでした。自分も、そこにいたみんなも、自然に涙を流していましたね」
2人組のユニット「I WiSH」(アイウィッシュ)として発表した番組の主題歌『明日への扉』はオリコンチャート1位となり、90万枚以上のセールスを記録する大ヒットとなった。一方で路上ライブも継続し、2003年5月に目標の「手売りCD5000枚」を達成。8月20日には「渋谷公会堂でワンマンライブ」を実現する。
「渋谷の路上で歌い始めたころ、渋公(渋谷公会堂)の前で歌っている自分の周りは0人だったのに、渋公の周りはコンサートで行列ができていたんです。それを見て、『1年後、ここに立ちたい』と目標にしてきました。当日は手探りでつくりあげたステージだったんですが、今でもこの曲のときにどんなことを考えて歌っていたのか、心境がものすごく鮮明によみがえってくるくらい一瞬一瞬が濃くて、深く刻み込まれたステージでしたね。終わった後は『終わった!』っていう感じはあまりなく、むしろ『明日から私、抜け殻になるんじゃないか』という不安が迫ってきて、本当に抜け殻になったのか、肺炎で1週間くらい入院しました(苦笑)。相当、その日に懸けていたんだと思います」
渋谷公会堂でのライブが終わると、すぐに「47都道府県ライブ」という目標を掲げた川嶋さん。2005年3月30日には、ついに1000回目の路上ライブを迎えた。
「一期一会の出会いがある中で、3年かけて達成しました。その日は達成感より、終わってしまう寂しさとか、喪失感の方が大きかったように思います」
途上国の学校建設を支援
その後、数々のヒット曲を生み出している川嶋さんだが、発展途上国の学校建設を支援する活動にも積極的に取り組んでいる。きっかけは、中学生のときにテレビで見たアフリカの子どもたちの映像だった。
「飢餓で赤ちゃんや小さな子どものお腹がポッコリ出ている姿や、5歳未満で亡くなる子どもが年間800万人以上いるという現実に衝撃を受けてずっと何かやりたいと思っていました。高校生のころにNGOやNPO団体の方にお会いして話を聞くと、皆さん教育が一番必要だとおっしゃっていたので、それだったら学校をつくろうと思って活動を始めました」
世界中の子どもたちの「学校に行きたい」という夢を支援しようと、自ら代表を務める国際協力NGO「ALW」(アイラブワゴン)を立ち上げた川嶋さん。これまでにブルキナファソ、カンボジア、リベリア、東ティモール、バングラデシュに小学校を建設してきた。壁面に「あい校舎」と刻まれている学校もあり、完成後は現地を訪問しているそうだ。
「いつも子どもたちが待っていてくれて、並んで歓迎してくれるんですけど、なんというかたまらない気持ちになりますね。日本にいたら絶対に味わえない感情だと思いますし、心の奥から気持ちが浄化されて、行くたびに子どもたちから本当の幸せの意味を教わる気がします。物や情報、お金がいっぱいあることが果たして幸せなのか、当たり前のことがすぐ手の届くところにあるのが一番幸せなのかって、毎回、自分に問い掛けたくなりますし、今あるものに感謝しながら思いっきり生きている、そんなエネルギーに溢れる子どもたちの姿に、幸せのあり方を考えさせられますね」
被災地の卒業式で子どもたちと一緒に歌う
東日本大震災後は被災地を何度も訪問し、支援活動にも取り組んでいる。最初に訪れたのは宮城県の南三陸町だった。
震災が発生した2011年3月11日、南三陸町にある戸倉小学校の6年生は、1週間後に控えた卒業式の準備をしていたときに津波で校舎が流され、高台の神社に避難した。その夜、子どもたちは厳しい寒さの中、卒業式で歌うはずだった曲を歌い、お互いを励ましながら一晩を過ごした。その曲は、川嶋さんの『旅立ちの日に…』だった。
その話を聞いた川嶋さんは、震災発生から3週間後、支援物資を持ち、トラックに乗ってスタッフとともに子どもたちがいる避難所を訪れた。
「ガレキの山がすごくて、全てが破壊された学校の校舎が残っていて、言葉にならない光景が今でも目に焼き付いています。でも、子どもたちといっぱい話をして、そのときに『川嶋さんの歌が光になったんです』と言ってくれたのが本当にうれしかったですね。震災直後は、音楽でさえも無力なのかなってすごく悩んでいたので、歌が力になるんだってことを私自身、信じられましたし、そうやって少しでも力に変えてくれた子どもたちがいて、それが自分の歌だったということが、すごくうれしかったです」
その年の8月21日には、延期になっていた戸倉小学校の卒業式に出席し、川嶋さんの伴奏で23人の卒業生と『旅立ちの日に…』を合唱した。
「再会した子どもたちは、しっかりとした目つきの大人びた表情になっていました。たった数カ月の間に、子どもたちなりにさまざまなことを受け止め、感じて、今日、卒業式を迎えたんだなって思いましたね。23人の卒業生一人一人が夢を語る場面では、みんな『将来は人の役に立つ人間になりたい』と言っていました。12、13歳の子が、『僕たちは日本だけじゃなく、海外のいろいろな方から救ってもらい、助けてもらった。それをお返しできる人間になりたい』と話していたことにすごく感動しましたね」
今年、川嶋さんは被災地の復興を支援する新たな活動に取り組む。津波で塩害に遭った田んぼで綿花を育てることで塩分を吸収し、3年後には農作物が育てられる土壌へと復活を目指す「Tattonプロジェクト」だ。川嶋さんのファンクラブ会員と被災地を訪問し、6月に綿の種の田植え、9月に田んぼの除草、そして秋には綿の収穫を予定している。
「ファンの方と一緒に綿花を育てていこうと思っています。被災地の田んぼを復活させていくという素晴らしいプロジェクトにファンの方と取り組ませていただけるのが楽しみですね」
世代を超えて愛される曲を歌いたい
「いろんな方に長く愛され、語り継がれていく、絵本のような楽曲を生み出していきたいですね」と川嶋さん。「若い世代の方が自分の曲に出合ってくれて、成長して大人になり、家庭を持って子どもが生まれたときに『この曲を聞かせてあげたい』と思ってもらえる、そんな世代を超えて語り継がれていくような楽曲をつくっていきたいです」と目標を語る。
これからも川嶋さんは、聞く人の心に残る素敵な曲を生み出し、歌い続けてくれるだろう。
川嶋 あい(かわしま・あい)
シンガーソングライター
1986年2月21日福岡市生まれ。2001年に上京し、02年2月から都内で路上ライブを始める。03年に2人組ユニット「I WiSH」のボーカル・aiとして『明日への扉』でメジャーデビュー。オリコンチャート1位、90万枚以上のセールスを記録する大ヒットとなる。05年に川嶋あいとしてソロ活動をスタートし、『旅立ちの日に…』『My Love』など多くのヒット曲を世に送り続けている。今年2月に最新作『空はここにある』をリリース
写真・飯塚寛之
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