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100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 確かな原料と技術で、心から 喜んでいただけるお酒をつくる

加藤吉平商店

福井県鯖江市

海外でも評価が高い日本酒「梵」

眼鏡のまちとしても知られる福井県鯖江市。この地で生まれ、広くその名を知られる日本酒「梵」の醸造元である加藤吉平商店は、昔、両替商・庄屋を営んでいたが、万延元(1860)年に酒づくりを開始。現在の当主、加藤団秀さんは十一代目にあたる。

加藤吉平商店の看板ともいえる「梵」は現在、40カ国以上に輸出されており、政府や大使館が主催する晩さん会にも数多く使用されている。「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)2010」の純米部門、「全米日本酒歓評会2012」をはじめとする海外の酒類品評会においても数多く最高賞に輝くなど、今や世界に誇る日本を代表するブランドの一つにまで成長したといってよいだろう。

悩み、考え抜いた10年

団秀さんは、この名酒「梵」を育てるとともに、国内の市場全体が縮小傾向にある日本酒業界にあって、28年連続して増収を続ける加藤吉平商店を引っ張っている。「今の加藤吉平商店があるのは、あの10年間があったからだと思います」と団秀さんは当時を振り返る。「あの10年間」とは、団秀さんが加藤吉平商店を継ぐことを決意し、会社の行く末を考え抜いた時期のこと。昭和51年4月、団秀さんが東京の大学に入学して間もなく、父親が急逝する。「高校生のときに父から利き酒の訓練を受けていましたが、まだ家業を継ぐ意思は固まっていませんでした。本当は好きな勉強をしたかったのですが……」。

しかし、その緊急事態をうけて団秀さんは、入学したばかりの大学を中退し、すぐに東京都北区にあった醸造試験所(現独立行政法人酒類総合研究所)に入所して、一から日本酒の勉強を始めた。

「試験所では、日本酒が本当に好きで、熱い思いを持つ先輩たちと出会いました。日本酒は日本人の大切な主食を原料にするお酒であり、食べるものがなかったときでさえ神様に捧げるためにつくられてきました。そして、人と人をつなぐコミュニケーションツールとして、大切な存在です。加藤吉平商店は代々、日本人に欠かせないものをつくってきたのだという思いに至りました」

醸造試験所を経て団秀さんは実家に戻ったが、そこで新たな課題に直面する。日本人が日本酒を徐々に飲まなくなってきたのだ。生産量のピークは48年。それは団秀さんが家業を継ぐ決意をした3年前のことだった。以降、その生産量はじわりと減っていく。

「お客さまは他の酒類を飲むようになっていました。何とかしなければという危機感を持ちました。目の前にあるニーズに応えるだけではなく、新しい市場をつくり出さなければならない。そのためにはどうしたらいいのか悩みました」

品質にこだわり万全の体制を整える

団秀さんが最後に行き着いた答えは「本物の味」だった。日本酒の味について団秀さんはこう語る。

「ものづくりでは、確かな原料と最高の技術を用いるとともに、お客さまに心から喜んでもらえる商品をつくる心意気が大切です」

団秀さんは、原料の酒米にこだわることから始めた。現在は、契約農家が栽培した山田錦と五百万石を使用している。また自社酵母や製法にもこだわった。そして、徐々に純米酒の比率を高めていき、10年前から全商品が純米づくりの日本酒となった。一般的に精米歩合が低くなるほど、酒の質が高くなるといわれる。加藤吉平商店の酒の精米歩合は全て55%以下で、平均すると38%だ。最高ランクの「梵・超吟」にいたってはなんと20%を下回る。精魂込めてつくられた酒は、最長で10年、短くても1年はマイナスの温度で管理された熟成庫で貯蔵されてから出荷される。

「昔は、仕込みや温度管理において勘に頼るところがありましたが、センサー技術が進んだ今では全ての酒の品質を高く保つために、ストレスをためない環境をつくることが重要です。製品化においては、3年前から商品を検品した人の名前が入った品質保証シールを貼って出荷するようにするなど、最終出荷まで万全の体制を整えています」

海外には日本酒の市場開拓の無限の可能性がある

福井の地酒だった「梵」が海外に進出するきっかけとなったのは、平成10年のカナダ・トロントでの「国際酒祭り」で第1位グランプリに輝いたことだった。「日本で誇れるものでないと世界では通用しません。大事なことは半径10㎞圏内の真の地元といえるお客さまに心から満足していただくことです。まずは地元の人に心から喜んでいただくことが最も重要なのです」

一方で、国内市場のみにこだわっていては、日本酒業界の未来は描けないと考えた。そこで団秀さんは、カナダでの受賞以降、積極的に海外へ営業を仕掛けていった。地元の販売代理店だけに任せず、スタッフとともに出向いて直接営業もする。海外のバイヤーを鯖江に招き、自社の醸造所を見せて日本酒のPRや研修による海外スタッフの教育を行っている。

「品評会では利き酒でお酒を評価しますが、利き酒は口に含むだけで飲み込みません。私が本当に目指しているのは、飲むほどにおいしいお酒です。『梵』を本当にわかっていただいているのは実際に飲んでいただいているお客さまなのです。日本酒が飲まれていない国が世界にはまだ100カ国以上あります。市場開拓の余地は無限に広がっているのです」と言う団秀さんの手帳は、海外出張の予定で数カ月先までビッシリだ。

蔵元と社員一丸となった日本酒に懸ける熱い情熱がある限り加藤吉平商店の成長は、無限に続きそうだ。

プロフィール

社名:合資会社 加藤吉平商店

所在地:福井県鯖江市吉江町1-11

電話:0778-51-1507

代表者:加藤団秀(十一代目当主)

創業:万延元(1860)年

従業員:102人

※月刊石垣2014年7月号に掲載された記事です。

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