今号で本誌は創刊40周年を迎える。本誌が創刊した1980(昭和55)年から今日まで日本経済を支える中小企業が歩んできた道のりは決して平坦ではなかったが、その度に乗り越え、時代とともに進化してきた。改めて、40年間にわたる日本経済を振り返り、中小企業が進むべき道を4人の先達による独自の視点から提言する。
提言1 40年間の逆風に鍛えられた強み 日本型中小企業は、コロナ禍をも乗り越える
真壁 昭夫(まかべ・あきお)/法政大学大学院教授 日本商工会議所 総合政策委員会学識委員
本誌『月刊石垣』が創刊された1980年から今日までの40年間は、日本経済、日本企業にとって逆風の時代であるとともに、日本企業が鍛えられた時代でもある。連載コラム「経済底流を読み解く」でもおなじみの法政大学大学院教授・真壁昭夫さんがこの40年間を振り返り、中小企業に大きな影響を与えた出来事を解説する。
40年間を象徴する出来事
40年間を象徴する経済・金融分野の出来事として、真壁さんは「プラザ合意」「1990年代初頭の資産バブル崩壊」「金融システム不安」「リーマンショック」「米中通商摩擦」の五つを挙げた。
「プラザ合意」
プラザ合意(※1)は、わが国の経済が一層のグローバル化の進展と国際競争に対応しなければならなくなった一つの契機になった、と真壁さんは指摘する。
「プラザ合意は、双子の赤字(財政と経常赤字)に直面していた米国の事情によって世界の為替相場が大きく影響されることを世界に示すティピカル(典型的)なケースの一つだったと考えます。つまり、米国にとって常に“ドル高が国益”とは限らないことがプラザ合意によって確認されました」
日本企業に与えた影響として重要なことは、プラザ合意を機にドル高の是正が進み円高圧力が高まる中、「わが国の中小企業をはじめとする企業は製造拠点の海外移転を進めた」ことだ。「中小企業は国際競争などに対応しつつ長期の事業存続を実現してきました。これは、モノづくりにおけるわが国中小企業の強さ(新しいものを生み出し付加価値を創出する)を確認する一つの材料だったと考えます」
※1 1985年9月22日、ニューヨーク・プラザ・ホテルで5カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)が開催され、G5が協調してドル高是正に動いた。
「資産バブル崩壊」
1980年代に発生した資産バブル(株式と不動産のバブル)は、50代以上の読者にとって甘い思い出だ。しかし、90年代初頭に起きた「資産バブル崩壊」は経営者を震え上がらせた。
「資産バブル崩壊後、わが国の経済は急速な資産価格の下落を受けて冷え込みました。資産価格の下落に直面し、多くの中小企業をはじめとする事業者が“あつものに懲りてなますを吹く”ような心理を強めたと考えられます」
「金融システム不安」
バブル崩壊後、わが国では急速な資産価格の下落が起きる中で不良債権の処理が遅れ「金融システム不安」を招いた。
「97年には山一證券が自主廃業し、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行など大手金融機関の経営破綻が続きました。これと同じタイミングで、わが国経済は物価が持続的に下落するという意味での‶デフレ経済〟に陥りました。
デフレ経済が進む中、多くの中小企業は需要の低迷という意味での事業環境の悪化に直面しました。同時に、資金調達に関しても銀行の融資能力の低下が中小企業の経営を圧迫しました。そうした状況に直面しつつ、中小企業が事業を継続してきたことは、わが国経済の基礎体力の高さを示していると見ることが可能でしょう」
2002年以降、徐々にわが国の金融システムは健全化したが、需要の回復は思うように進んでいないため、「各中小企業が拠点を置く地域の資源・人材などを生かして新しい需要を生み出そうとすることの重要性は高まっている」と真壁さんは経営者に期待する。
「リーマンショック」
08年9月15日、当時、全米第4位の大手投資銀行だったリーマン・ブラザーズの経営破綻をきっかけに世界的な金融危機が発生した「リーマンショック」は、記憶に新しい。リーマンショックはわが国に二つの重要な問題を突き付けた、と真壁さんは指摘する。
「一つは、年々、わが国の経済が海外経済への依存を強めてきたことです。そのため、米国の金融システム不安とそれに端を発する景気減速・後退を受け、わが国の経済は急速に失速しました。リーマンショックの発生によって、高い成長期待を追い求めて海外進出を続けてきた中小企業などにとって、円高をはじめとする為替リスクや、海外経済の変調といった事業リスクへの対応力の重要性が高まっていることが示されました。
二つ目は、中国経済の存在感が増したことです。リーマンショック後、中国政府は4兆元(当時の邦貨換算額で57兆円程度)の経済対策を打ち出してインフラ投資などを進め、世界経済を支えました。その後、11年半ば以降、中国経済は減速基調にあり、18年以降は成長の限界が鮮明化しています。それに伴い、世界全体で需要が低迷し、過剰な供給能力と過剰な債務が出現しています。一方で、中国はAI(人工知能)など先端分野の競争力を急速に高めています。一言で言えば、中国経済はまだら模様です。
これは、外部の要因に依存してきた日本経済にとって無視できない変化です。特に、経営体力が相対的に小さい中小企業にとって事業、財務面の不確定要因が増大傾向にあることは冷静に受け止めなければなりません」
「米中通商摩擦」
「米中通商摩擦」は、現在進行中の出来事だ。「対中貿易赤字の解消」「貿易の不均衡の解消」を公約に掲げたトランプ米大統領が中国製品の関税引き上げを行い、中国が報復措置として米国からの輸入品に関税をかけ、摩擦が激化した。
「18年4月以降に本格化した米中の通商摩擦は、その考えの一端を示しています。米中の摩擦が激化し相互に制裁関税の掛け合いが続く中、世界経済はサプライチェーンの寸断・混乱に直面し、多くの企業が通商摩擦に先行きを警戒して設備投資を控えました。さらに、制裁関税を逃れるために中国からベトナムやインドなどの新興国に生産拠点を移す企業が増えました」
米中の通商摩擦には、「IT先端分野における米中の覇権国争いの側面がある」という。
米国のGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)と中国のBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)という米中のIT大手の競争が激化しているが、「わが国の企業がIT先端分野での競争にどう対応できるかはかなり不確定です。なぜなら、わが国にはGAFAやBATHに匹敵するITプラットフォーマーが見当たらない」と、真壁さんは懸念する。
一方で「高品質の半導体材料などの分野において、わが国の競争力は高いと考えられます。企業はその強みを磨かなければなりません。中小企業各社には、自社の強みを発揮して素材やパーツの分野での競争力を高めることが求められます。同時に、多くの人々が欲しいと思わずにはいられないヒット商品の創出を目指すことの重要性も高まっています」
コロナショックの影響
「米中通商摩擦」は、米国を中心に進んできたグローバル化を不安定化させた。そこへ起こったのが「コロナショック」である。それによって、米国を軸に進んできたグローバル化は分水嶺を迎えている。
「中国への依存リスク、経済格差の深刻化、医療制度の崩壊懸念などグローバル化が進む中で各国が抱えてきた問題がより深刻・鮮明化しています。
同時に、世界は多極化しています。コロナショックをきっかけにして、‶マスク外交〟と呼ばれるように中国の存在感が増していて、米中の対立構造はさらに鮮明化し、これまで以上に、国際社会の不安定感は増すと考えられます。コロナショックは反グローバル化を加速させています。コロナ禍により需要と供給が停滞し、中小企業の事業環境はこれまでに経験したことがないスピードで不安定化しています」
さらに、コロナショックは、需要の落ち込みを通して原油価格を押し下げ、金融システム不安を引き起こす可能性がある、と指摘する。どういうことか。原油価格が不安定に推移しつつ停滞するのであれば、債務に依存して事業を継続してきた米シェール業界のデフォルトは増える。その結果、CLO(ローン担保証券、Collateralized Loan Obligation、企業が発行した複数のローンを束ね、証券化して発行された金融商品)の価格が低下し、それを購入してきた各国の大手金融機関の収益・財務力が低下するリスクは軽視できない。「その場合、わが国の中小企業にも相応の影響が波及する恐れがあります」
中小企業の強さと弱さ
日本は創業100年以上の企業が3万社以上存在する世界でも稀な長寿企業大国だ。こうした特徴を持つ日本の中小企業の強さと弱さを真壁さんは、こう分析する。
「わが国の中小企業の強みは、モノづくりにあると考えています。欧州では、例えばイタリアのようにデザインなどに強みを持つ中小の事業者があります。それが、有名ブランドの成長を支える要素になってはいます。同時に、ブランド品はすでに存在するモノであり、新しい需要ではありません。米国では、経営資源が先端分野である情報テクノロジー分野に再配分されており、日常生活から産業活動までを支えるモノづくりの基盤は縮小しています。それは、コロナショックの中で米国の医療制度が崩壊し、綿棒やマスクなどの衛生用品が枯渇していることからも確認できます。
一方、わが国には必要なモノを自ら生み出す力があります。それが、モノづくりの力です。わが国は、この力をさらに高めなければなりません。アップルのiPodの筐体(きょうたい)研磨を燕三条の職人技術が支えたように、企業のイノベーションを刺激し、促す要素がわが国の中小企業にはあります。そうした要素がさらに磨かれればよいと思います」
弱みを強いて挙げれば、人材確保にある、と真壁さん。
「わが国には成長を目指し、ひたむきに取り組むことのできる人材が必要でしょう。つまり、多様な利害を調整し、組織全体が向かうべき地点を示し、必要な戦略を指示・実行できる人材が必要です。これは、企業経営に限らず、官の分野にも当てはまります。
中小企業の経営者が、プロとしての矜持(きょうじ)をもって‶若者、よそ者、バカ者(※2)〟を鍛え、一人前のプロに育てることが求められています。中小企業のオーナーの方には生涯現役の気概を持って、さらに邁(まい)進していただきたいと思います。中小企業には、組織がコンパクトであるがゆえに変化に迅速かつ機敏に対応できるという特徴があります。それを生かして、各企業が〝アニマルスピリット〟にあふれる人材を育て、確保されるとよいと思います。それは、各社の事業継承など事業の長期存続を支える大きな要因となるはずです」
※2 若者=強力なエネルギーを持つ、よそ者=組織の外にいて従来の仕組みを批判的に見ることができる、バカ者=旧来の価値観の枠組みからはみ出した行動をする。
強みを磨き生き残る
中小企業が、さまざまな問題を抱えているのは明らか。ならば、この先中小企業が生き残っていくために、どのように対応していくべきなのだろうか。真壁さんに聞いた。
「各企業が自社の強みを冷静に理解し、それを磨くことが必要な取り組みの一つと考えます。その上で、新しい発想の実現を通してこれまでにはない高付加価値(より満足度の高い製品など)の創出を目指すことが重要でしょう。AIなどを実装して効率化できる部分は機械に任せる。その一方で、新しい素材や製品の創出など、人々の感性がものをいう分野に経営資源を再配分することができれば、さらなる成長は可能と考えます。重要なことは、変化への適応力を高め、発揮することです。それが企業の長期存続に欠かせません」
状況悪化を想定して準備
コロナ禍に終わりが見えない現状の中で、対策に頭を悩ませている中小企業経営者は多い。政府は複数の支援策を打ち出しているが、とても十分とはいえないだろう。
「重要なことは、状況が悪化した際に対応できる体制を整備することです。端的に言うと、今は経営の守りを固めることに徹しなければなりません。まずは、従業員の安全を第一に考えることです。その結果として収益は落ち込むでしょう。収益の落ち込みに伴う資金繰りの悪化などに対応するために、できるだけ早く、多くの資金を手元に確保することも欠かせません。そうしたことを政府の対応を待つのではなくトップの判断で迅速に進めることが求められます」
コロナショックは「長期化する」と真壁さんは見る。しかし、「過去のウイルスとの戦いを見ても、感染力の低下や治療薬の開発と普及によって世界経済は立ち直ってきました。今回もそうなるはずです」。
この40年間を振り返って見ても、中小企業は今、過去最大の危機に直面していると言えそうだ。だが、中小企業は日本経済という城を支える石垣である。守りを固めつつも、自社の強みや人材の育成に取り組み、今後の環境の変化への対応力を高めることの重要性が、これまで以上に高まっている。
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